家族の立場から
家族として「心神喪失者等医療観察法」の撤廃を切に望む!
郭 春生(家族・看護師)
不幸にして精神障害者が引き起こしてしまった事件が報じられる度に、多くの精神障害者の家族は胸を締め付けられるような思いになってしまう。被害者のこと、加害者やその家族のことを思い、さらにそのニュースに対する世間一般の反応が痛いほど予測されるからである。病者の起こした事件(被害者にとっては理不尽な事件)は、ある特定の個人が起こしたものであるにもかかわらず、あたかも精神障害者なら誰でも起こす可能性があるかのように思われてしまう。病者の立場にある人たちにとってはなおさら残念で悔しい思いがあるだろう。これが精神障害者の事件でない場合なら、あくまでもその加害者個人の犯罪として受け止められるのに。
しかも、最近では想像力の及ばないような事件が多発し、理解しがたいが故に精神鑑定を実施するケースが多い。ただ問題は、「精神鑑定」という言葉からも世間一般の人々は、精神障害者ならだれでも罪を犯す危険が高いとイメージしてしまうおそれが多分にあるということだ。真面目で心優しいが故に、家庭や社会のしわ寄せをより強く受けて発病して苦しんでいる病者に、「怖い」「野放しである」といった無理解な、というよりそれこそ理不尽な偏見のまなざしが突き刺さる。
私たち家族は、そういう偏見を無くそうと長年活動を続けてきた。難しい状況の中でも当事者の会も声を上げ、頑張っている。しかし、そういう努力を踏みにじり、精神障害への差別や偏見を助長するような「心神喪失者等医療観察法」が施行されてしまった。
なぜ新たに法律を作り、特別の指定医療機関に隔離収容しなければならないのか。広い意味での「心を病む人たち」も含めて、治療の必要があるというなら、既存の医療施設の医療充実こそが本来求められるべきものではないだろうか。鑑定入院中の治療についても定めがなく、家族やそれまでの医療(もし医療機関にかかっていた場合は)から切り離された場で、どんな有効な治療が行えるというのだろうか。
病院から地域へ出てお互い支え合いながら、またサポートを受けながら何とか生きようと頑張っている障害者への自立を妨げ(障害者自立支援法制定)、福祉予算削減の中で多額の費用を費やしてまで施行された医療観察法。その根底に流れているのは相も変わらず精神障害者を危険者と見なし、隔離収容しておこうという考え方でしかない。そういう国の施策は、「社会の安寧を守る為に『異常な人たち』は閉じ込めたらいい」という世間の風潮を更に強めてしまう。基本的人権の侵害である。
100年前に呉秀三は「この病を受けたる不幸の外に、この邦(くに)に生まれたるの不幸」と言っている。現在を生きている病者と私たち家族は、病気と日本の隔離収容政策という二重の苦しみ、さらには社会の偏見・差別からの苦しみをずっと受けながらも、改善を求めて活動を続けてきた。それでも社会の偏見は依然として根強い。だから国がそれを助長することは本当に許し難い。家族としてもこの「医療観察法」の一日も早い撤廃を切に望んでいる。
2007年4月