医療観察法.NET

精神科医の立場から

「医療観察法」と「自立支援法」〜「車の両輪」の完成

高木俊介(精神科医)
たかぎクリニック
2007年1月

地すべり。

2003年7月、「心神喪失等の状態で重大な犯罪を行った者に対する医療と観察に関する法律」(心神喪失者等医療観察法)が成立。同じ国会で、有事関連法が次々と通過し、日本は積極的に戦争に荷担する国となった。ここから、経済的格差拡大を当然のごとく是とする新自由主義をかかげ続けた小泉政権が「歴史的圧勝」を得る2005年衆院選、2006年のライブドア事件をはじめとするいわゆる「4点セット問題」、そして新自由主義とナショナリズムという本来相矛盾することを推進して平気な(そういえば、医療観察法についての国会審議でも、脱輪するに決まっているちぐはぐな車輪が「車の両輪として進める」と言われていた。)安倍内閣による教育基本法改ざんまで、あたかもこの国全体が地すべりを起こしたかのように突き進んでいる。

医療観察法は、その後2年の準備期間を経て、現実に運用されるものとなった。この3年間あまり、私たちは、自分たちが危惧してきたことが次々と現実のものとなるのを見てきた。だから、この先も、さらに多くの危惧が現実化していくだろうということは、残念ながら疑えない。

この医療観察法を監視していくためのネットに寄せる一文として、あえてその現実化するはずの危惧、「予言」を、2点だけ記す。

この法が生み出す新たな経験に、強制通院制度がある。法による収容が終わる者が出ている現在、この制度はすでに発動しているが、その実態はまだ知られていない。 つまり、数ケースについて、この法による「治療」の全体が行われ始めたわけで、これらの事例がどのような結果となるのか、検証していかねばならない。

ところで、私はこれらの個々のケースがうまくいかないと思っているのではない。むしろ、心神喪失が想定される精神病圏の人が起こす事件に関しては、法成立前の議論にもあったように、措置入院という枠組みの中でも、それなりにうまくやってきたし、私たちにはそのノウハウもある。法の対象者が今のように、統合失調症を中心とした中核的な精神病状態にあったものを選定している限り、この制度は一見非常にうまくいくことも多いはずである。

ただし、医療観察法のもとでの社会復帰は、措置入院からの退院に比べるとかえって悪条件である。措置入院では、治療の継続性はそれなりに保たれていたのだから。それにもかかわらず、社会復帰調整官を含めた熱心で熟練した関係者は、これまでの経験を生かして、うまくやるであろう。そして多くの精神病者は、治療者の熱意と関心に応える人間性に富んでいる。

しかし、これから数日にひとりずつ、日本の各地に退院者が出る。その時、すべての地域がうまくやれる基盤を備えているわけではない。おそらく、関係者の適切で情熱的な努力にもかかわらず、「再犯」が起こるであろう。その時、この法の不備が徹底して現れる。誰に責任を帰するのか、誰がどう処遇するのか・・・。そしてすべての善意が水泡に帰すであろう。

これは、「精神科医療全体の底上げ」をしないまま、法を見切り発車したことから当然起こるべくして起こる事態である。そしてこのような事態から起こってくる精神科医療への世間からの譴責と非難は、すべての精神科医療関係者の目を、管理へと向かわせることになろう。

ついでに一言、これも記しておこう。社会復帰調整官たる精神保健福祉士は、その所属からして医療の人ではなく司法の人である。これまで彼/彼女らは、「医師の無理解」を嘆き告発してきたはずだ。この後は司法の中にあっては医療の側の人として、医師の無理解という壁はそのままで、司法から患者を守らねばならないという立場である。この困難を、誰が自覚しているか。

同じようにコメディカルと呼ばれる職種で、臨床心理士(CP)は、私のみるかぎりこの法にまったく無関心である。しかし、この法の中で使用される再犯予測のための具体的手だては、司法精神医学に包摂されているにしても、すべて心理学的手法によっている。おそらく彼/彼女らの一部は喜んで司法精神医学のエリートの一員となっていくであろう。その時、これまで現実の精神科臨床の中に基盤を持てないままできた彼らは、この法の外部に何のつながりもないままの孤立した専門職となる。その結果は、医師の判断に従属するテスト判定機となるしかない。これもまた、「精神科医療全体の底上げ」がないままに、特殊な法律による特殊な分野だけが肥大したための悲劇に違いない。

予言の2点目

確実に起こってくるのは、人格障害に対する同様な制度の立法化と、人格障害問題の精神科医療への帰責である。あるいは立法化をまたずとも、同じ医療観察法の対象拡大あるいは運用上の拡大も十分に考えられる。

この拡大は、精神科医療の内部と外部からやってくる。外部は、治安の強化を望む世論である。あらゆる研究が一致して述べるごとく、治安は悪化していない。それゆえに当然この法律は治安の強化に寄与しない。にもかかわらず、だからこそ、治安強化のためのスケープゴートとして次に選ばれるのは人格障害である。

内部からは、この法律の推進者たちの勢力拡大のための野望である。精神保健福祉士(PSW)養成のためのテキストに記された、この法を推進した側の立役者である山上晧氏の次の一文はそのことを如実に示している。

「わが国では司法精神医療のスタートの遅れに伴い、人格障害の治療への取り組みも欧米諸国に比べて大きく立ち遅れていた。しかし、2003年7月に懸案であった『心神喪失者等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律』が国会で成立し、2005年より『医療観察制度』が施行されることになる。新制度の施行に伴い、わが国もようやく充実した諸条件のもとで司法精神医療を展開できるようになり、いずれは、人格障害の治療の領域においても欧米の水準に並ぶことが期待されている。」(精神保健福祉士養成セミナー第一巻精神医学改訂第3版139項:へるす出版2004)

人格障害の治療の話をしたいのか、司法精神医学のことを言いたいのかわけのわかりづらい文章ではあるが、まともに読むと、人格障害の治療には医療観察法のような制度がいるという主張である。これまで精神科医療界の内部では、法の対象は心神喪失者に限るということを堅持して主張し続けてきた人物が、ここに真情を吐露している。

いずれにせよ、一人物の思惑にかかわらず、医療観察法体制はこの方向に進むであろう。そして、司法制度の中で、累犯者に対する有効な矯正を示し得ない司法は、これをもろ手を挙げて歓迎するであろう。累犯者というのは、それだけで、人格障害という精神医学的範疇なのである。たとえ、精神医学的には、人格障害、とくに反社会性人格障害者に対する有効な治療的%ケ具立てを、長期にわたる拘禁という以外何ら持っていないとしても。

以上の2点の予言が、再犯予測と同じぐらいあやふやなものであることを願わずにはいられないが、しかし、リスクファクターが揃いすぎている上に、過去2年間の「予言成就歴」もあまりに高い。リスク評価を行えば、結論は明らかである。

このような結果が起こることは、医療観察法の最初の産声の時点から見えていたことだ。まず、心神喪失者に対する法律であるにもかかわらず、きっかけとなった付属池田小学校事件では、犯行は心神喪失によるものではなかった。しかも、すでに死刑となった犯人が、人格障害であるかどうか、今となっては追求するすべがない。

時の首相、小泉が精神障害者の犯罪に対する新たな立法を指示した時、法務省はこれを躊躇した。何を思ったか、厚労省がこれに飛びついた。予算獲得のチャンスと思ったか、法務省から恫喝されたか哀願されたか、今となってはこれもわからないが、しかし、本来司法が解決すべきであった問題まですべて、医療が引き受けることになってしまった。検察の起訴便宜主義の問題、簡易精神鑑定の問題、司法施設内の医療の問題など、すべて私たちが指摘してきた司法の側の問題点は不問にされた。

医療観察法が、医療という衣を借りた保安処分そのものであると言われるゆえんである。こうして、精神科医療は、患者に対する刑罰≠ワで抱え込んだのである。このことの苦い自覚なしに、今後の精神科医療の改革はありえない。

この小文は、批評社版メンタルヘルス・ライブラリーの一巻「動き出した「医療観察法」を検証する」に寄せた「あとがき」を加筆修正している。もとの文章を書いてから以後この1年の間に、精神科医療・福祉をめぐる情勢はますます悪化している。

立法者の約束した「精神科医療の底上げ」は、逆に「底抜け」である。特に地域の状況は、精神障害者にとってのみならず、障害者全体にとっても逼迫している。障害者自立支援法による、応益負担原則は、この国の福祉の息の根をとめようとしている。いずれは障害者「福祉」もすべて介護保険に統合することを見据えたこの法は、福祉をすべて保険として行おうというものである。保険である限り、働けず、掛け金を払えないものに受給の権利はない。掛け金を払えるように自立しましょう、というのが自立支援法の意味である。

本来市民が権力者の恣意を束縛する目的で作られている憲法を、権力者のための権力行使保証のようにねじ曲げて恥じない未熟な社会通念が、同じように、本来国家が保証する権利である福祉を、国を胴元にした保険制度と同列に論じて恥じない。「福祉もサービスであるから買って当たり前」と述べる福祉関係者すらゴロゴロ出てくる始末である。こんなことを言い始めたPSWなどは、精神科病院への入院窓口ばかり引き受けている「病院の牧羊犬」どころか、医者の診断書の下書きとサービスの領収書ばかり書く「精神科秘書(psychiatric secretary)ワーカー」である。

「退院促進施設」しかりである。病院が退院促進を実践してきた結果であればまだしも、これまで病棟でもできなかった退院促進を、病棟よりさらに条件の悪い施設で行えるはずもない。そこで行われるのは、これまでどおりの、「施設症促進トレーニング(SST)」や「塀の中の効かないOT」であろう。
(ちなみに、精神科病院が地域福祉に貢献できることは、これまでの精神科医療が歴史的必然として生み出した大量のヤブ医者と管理的スタッフを、地域に出さないように閉じ込めておくことだけである。)

精神科医療に治安管理を求める「医療観察法」と、「地域障害者福祉の底抜き」を実現した「自立支援法」。「車の両輪」が、はからずもここに実現したのである。さすがはトヨタと新幹線の国、というべきか?

 

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ACT-Kの挑戦 -高木俊介,批評社,2008.5

 

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