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医療観察法による強制隔離治療規定の合憲性について

内田博文
(九州大学法学部教授:刑法)
2008年1月

 

一 熊本地裁判決と感染症予防法の改正

 

1.入院勧告及び入院措置


 近年の新興・再興感染症の出現、医学・医療の進歩、国民の健康・衛生意識の向上、人権尊重への要請、国際交流の活発化等を踏まえて、新しい時代の感染症対策を構築するという観点から、従来の伝染病予防法、性病予防法、後天性免疫不全症候群の予防に関する法律を廃止・統合して、結核を除くすべての感染症を対象として、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)が1998年10月に制定され、翌1999年4月から施行された。同感染症法は2003年10月に改正・公布されたが、さらなる一部改正が行われ、同改正法が2006年12月に公布された。生物テロや事故による感染症の発生・まん延を防止するための病原体等の管理体制の確立、最新の医学的知見に基づく感染症の分類の見直し、結核を感染症法に位置づけて総合的な対策を実施する、などの観点から改正が行われたもので、入院勧告及び入院措置についても所要の改正が行われた。
 ちなみに、厚生労働省の作成した「法律案提案理由説明」によれば、入院等に関するこれらの改正が、次のように整理されている。
  「都道府県知事は、入院及び入院の勧告をする場合には、患者等に対し適切な説明を行い、その理解を得るよう努め、入院の勧告又は入院の措置をしたときは、遅滞なく、感染症の審査に関する協議会に報告するとともに、入院の延長の勧告をしようとする場合には、患者等に対し、意見を述べる機会を与えなければならないものとすること。」「健康診断、就業制限及び入院に関する措置は、感染症の発生を予防し、又はそのまん延を防止するため必要な最小限度のものでなければならないものと明記すること。」「感染症の審査に関する協議会について、所要の事務の整理を行うとともに、委員に法律に関し学識経験を有する者を追加すること。」「入院の勧告又は入院の措置により入院している患者等は、当該患者等が受けた処遇について、都道府県知事に対し、苦情の申出をすることができるものとすること。」「結核患者に対する入院の勧告又は入院の措置に関し、入院の延長の期間を三十日以内とすることその他の特例を設けることとすること。」

 

2.最小限度の措置


 上記の改正のなかでも特筆されるのは、健康診断、就業制限及び入院に関する措置は、感染症の発生を予防し、又はそのまん延を防止するため必要な最小限度のものでなければならないものと明記されたことである。強制隔離はいうまでもなく、患者らに対し著しい人権侵害を惹起しうる。のみならず、患者隔離は患者への誤った社会認識を作り出し、助長することにもなる。この強制隔離について、必要な最小限度のものでなければならないとしたことの意義は大きなものがある。
 それでは、「必要な最小限度のもの」とはどのような意味であろうか。どのように解釈・運用すればよいのであろうか。この点で、指針になると思われるのは、「らい予防法」の強制隔離規定の合憲性について判示した2001年5月11日の熊本地裁判決である。同判決は、これまでのところ、患者に対して隔離医療を許容する法律が憲法に合致するかどうかを判断した唯一の判例であり、かつ、「必要な最小限度のもの」の意味についても、後述するように踏み込んだ判断を示しているからである。
 ところで、熊本地裁判決はまず強制入所の意味に関して次のように述べて、物理的強制を伴わない入所も全くの任意入所と同じようにいうことはできないとした。
 「新法六条一項による勧奨による入所であっても、伝染させるおそれがあり、ハンセン病予防上必要があると認められる以上、同条二項の入所命令、同条三項の直接強制を受ける可能性があることを前提とした勧奨であるから、患者に入所を拒む自由は事実上ないというべきであり、また、入所後においては、退所を制限され、新法一五条による外出制限に服する点からみても、入所命令や即時強制による入所と異ならないのであって、物理的強制を伴わない入所を全くの任意入所のようにいうことはできない。原告らの入所形態や入所理由には様々なものがあるが、いずれにしても、外出制限等を伴う隔離状態に置かれていた点では変わらず、厚生大臣の行為を違法と評価することに支障となるものではない。」(『ハンセン病国賠訴訟判決』(解放出版社)276−277頁)
 患者隔離による人権制限の意味についても、熊本地裁判決は、広く理解し、次のように判示した。
 「新法の隔離規定によってもたらされる人権の制限は、居住・移転の自由という枠内で的確に把握し得るものではない。ハンセン病患者の隔離は、通常極めて長期間にわたるが、例え数年程度に終わる場合であっても、当該患者の人生に決定的に重大な影響を与える。ある者は学業の中断を余儀なくされ、ある者は職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される。その影響の現れ方は、その患者ごとに様々であるが、いずれにしても、人として当然にもっているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれるのであり、その人権の制限は、人としての社会生活全般にわたるものである。このような人権制限の実態は、単に居住移転の自由の制限ということで正当には評価し尽くせず、より広く憲法13条に根拠を有する人格権そのものに対するものととらえるのが相当である。」(同書282頁)
 この判示で重要なことは、強制隔離の意味も、強制隔離による人権制限の意味も、ともに単に自由権という観点からだけではなく、自由権と社会権を含む一体の基本的人権という観点からとらえているという点である。これによれば、療養所内でしか当該医療を受けることができない状態が作出された場合において、当該医療を受けるために患者が進んで療養所に入所したときも強制隔離ということになろう。人権制限の意味も、「社会のなかで、地域のなかで、学び、育ち、仕事を得て、慈しみ、愛し合い、助け合う。家族とともに、友人を作り、家族をもち、子どもを育てる。」「患者隔離法は人間のその喜びも悲しみもそのいっさいを奪う」(『市民と刑事法』190頁)ということを忘れてはならないということになろう。』
 それでは、患者隔離の必要性についてはどうであろうか。熊本地裁判決は、次のように判示した。
 「患者の隔離は、患者に対し、継続的で極めて重大な人権の制限を強いるものであるから、すべての個人に対し侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障し、これを公共の福祉に反しない限り国政の上で最大限に尊重することを要求する現憲法下において、その実施をするに当たっては、最大限の慎重さをもって臨むべきであり、少なくとも、ハンセン病予防という公衆衛生上の見地からの必要性(以下「隔離の必要性」という)を認め得る限度で許されるべきものである。」「また、右の隔離の必要性の判断は、医学的知見やハンセン病の蔓延状況の変化等によって異なり得るものであるから、その時々の最新の医学的知見に基づき、その時点までの蔓延状況、個々の患者の伝染のおそれの強弱等を考慮しつつ、隔離のもたらす人権の制限の重大性に配慮して、十分に慎重になされるべきであり、もちろん、患者に伝染のおそれがあることのみによって隔離の必要性が肯定されるものではない。」(同書267−268頁)、「患者の隔離がもたらす影響の重大性にかんがみれば、これを認めるには最大限の慎重さをもって臨むべきであり、伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合でなければならず、しかも、極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきものである。」(同書282−283頁)
 そして、同地裁判決は、上の考えを当てはめて、「らい予防法」の患者隔離規定による人権制限の合理性について判断し、次のような結論を導いた。
 「新法制定当時の事情、特に、ハンセン病が感染し発病に至るおそれが極めて低いものであること及びこのことに対する医学関係者の認識、我が国のハンセン病の蔓延状況、ハンセン病に著効を示すプロミンの登場によって、ハンセン病が十分に治療が可能な病気となり、不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたことなど、当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである。」(同書283頁)
 このように、熊本地裁判決は、強制隔離は「極めて限られた特殊な疾病にのみ許されるべきもの」で、「伝染予防のために患者の隔離以外に適当な方法がない場合でなければならない」と明示したが、この考え方は、改正感染症法によって採用された「必要な最小限度のもの」の解釈運用に当たっても大きな指針となるといえよう。

 

 

二 緊急避難の法理

 

1.刑法37条の規定


 熊本地裁判決によれば、強制隔離が適法とされる根拠と要件が「緊急行為」(緊急状態で権利を守る行為)、なかでも「緊急避難」の法理に求められていることが容易に伺われるが、緊急行為とされるのは正当防衛と緊急避難である。
 前者の正当防衛は、周知のように、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するために、やむを得ずにした行為は、罰しない」(刑法36条)というもので、自己又は他人の権利に対する「急迫不正の侵害」に対して反撃としてなされる緊急行為ということから、要件は比較的、緩やかに規定されている。これに対して、後者の緊急避難は、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない」(刑法37条)というもので、同じ緊急行為といっても、現在の危難を避けるために、何ら不正のない他人の正当な法益を侵害する行為であるために、それが適法とされる要件は、正当防衛に比べて厳格である。同じく「やむを得ずにした行為」であっても、緊急避難の場合は、「他にとるべき方法がないこと」(補充性の原則)と、「その行為より生じた害が、避けようとした害の程度を超えないこと」(法益均衡の原則)とが要求されている。
 もっとも、民法の緊急避難(720条2項)は、「物」についてだけに限定されており、「人」に対しては民法上はすべて不法とされる。その反面、民法上の緊急避難の場合、「法益の均衡」は要求されていない。このように刑法の緊急避難と民法の緊急避難とは異なるが、強制隔離は「人」に対するものであるということから、刑法の緊急避難の要件が参考にされたものと考えられる。
 ちなみに、医師の判断により、患者の意思に反して行われる専断的治療行為(例えば、乳癌の患者が「死ぬ可能性があっても患部を切除しないで欲しい」と明示していたのに、医師が、癌の転移を防ぐためには患部を切除するしかないと判断して、手術を行った場合など)については、その正当化の根拠を患者の自己決定権に求めることが困難なことから、緊急避難の法理を適用してその正当化を図るというのが判例・学説の態度である。このような態度を強制隔離についても当てはめたものと見受けられる。
 ちなみに、田中成明『法学入門』86頁によれば、法的パターニズムに関して、次のように説かれている。「各人の全体構想において周縁的ないし下位にある関心や欲求を一時的に充たすために、長期的な人生構想の実現を取り返しのつかないほど妨げたり、そもそも何らかの人生構想を自律的に形成・追求する能力自体を決定的に損なったりするおそれの大きい場合などに、一定のパターニズム的干渉を行うことは、本人の人格的統合を損なわないのみか、むしろ、その統合的人格の発達・確保にとって不可欠である。」「パターナリズム的干渉も、・・・個人・社会の在り方を促進するような形で行われるべきである。一般的には、パターナリズム的干渉は必要最小限にとどめ、幾つかの干渉形態が選択可能な場合には、自由の制約が最も少なく、本人の全体的長期的な人生構想の促進と人格的統合の発達・維持に最も役立つ措置が選ばれるべきであろう。」
 それでは、熊本地裁判決が、この緊急避難の要件のうち、「補充性の原則」のみを掲げたのはどうしてであろうか。思うに、強制隔離が適法とされるためには、「現在の危難」が存することは当然の前提であるということから、わざわざ明示するまでもないとされたものと解される。また、「法益均衡の原則」も、必ずしも直接的には明示されていないが、強制隔離による人権制限の意味を詳しく検討したうえで、「当時のハンセン病医学の状況等に照らせば、新法の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権の制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきである」と判示したことからみて、「過度な人権の制限」かどうかの判断に際して、「法益均衡の原則」が強く意識されていたことも伺われる。強制隔離を行うに当たって一番、問題となるのが「補充性の原則」だということも、同判決が「補充性の原則」を掲げた理由の一つとしえよう。
 とすれば、熊本地裁判決によれば、強制隔離を適法とするためには、「補充性の原則」のみならず、「現在の危難」および「法益均衡の原則」という要件も必要だとされていると解するのが妥当であろう。

 

2.現在の危難


 緊急避難にいう「現在の危難」とは、法益に対する侵害ないしその差し迫った危険のことをいうとされる。危難が現存するか、まじかに迫っている場合にのみ緊急避難が可能である。過去の危難に対しても、将来の危難に対しても、緊急避難は認められない。「現在の危難」には行為性は不要で、自然の災害なども含まれる。昭和8年11月30日の大審院判決(刑集12巻2160頁)は、豪雨による水田の湛水のために稲田が枯死する危険がある場合にも「現在の危難」が認められるとした。問題は国家的法益・社会的法益のための緊急避難が認められるかどうかである。否定する見解もあるが、判例は例外的にこれを認め得るという立場を採用しており(最判昭和24年8月18日刑集3巻9号1465頁)、通説も同様の見解をとっている。これらによれば、感染症予防を目的とした強制隔離の場合においても、「現在の危難」が認められる場合が少なくないことであろう。ただ、「過去の危難」及び「将来の危難」を除くという観点から厳格に解釈運用される必要がある。
 ちなみに、2001年5月11日の熊本地裁判決は、「新法(らい予防法)の隔離規定は、新法制定当時から既に、ハンセン病予防上の必要を超えて過度な人権制限を課すものであり、公共の福祉による合理的な制限を逸脱していたというべきであり、遅くとも昭和35年には、その違憲性が明白になっていた」(同書286頁)としたが、制定当時でさえも、この「現在の危難」要件を充たしていたかは大いに疑問である。

 

3.補充性の原則

 
  補充性の原則に関して補足しておかなければならないことは、その立証ないし証明という問題である。すなわち、「他人ノ法益ヲ害スル外他ニ救助ノ途ナキ状態」において行われるものでなければならない(大判昭和8年9月27日刑集12巻1654頁)とか、「当該緊急行為をする以外には他に方法がなく、かかる行動に出たことが条理上肯定し得る場合を意味する」(最大判昭和24年5月18日刑集10巻231頁)とかいうことを、緊急行為を行う者がいかなる資料に基づいて立証ないし証明する必要があるかということである。最近の有力説は、緊急避難が適法とされる根拠を「優越的利益の原理」に求めている。保全法益の要保護性が侵害した法益の要保護性に優越するから違法性が阻却すると理解される。この「優越的利益」説では「補充性の原則」も客観的な要件とされるため、緊急行為を行う者が主観的に「他にとるべき方法がない」と思ったからといって、「補充性の原則」が充たされたということにはならない。客観的に見て「他にとるべき方法がない」といえることが必要である。感染症予防を目的とした強制隔離の場合に当てはめると、「強制隔離以外に他にとるべき方法がない」ことが最新の医学的知見によって裏づけられることが必要ということになろう。

 

4.法益均衡の原則


 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が、避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、適法とされる。この「法益均衡の原則」は、上述したように、感染症予防を目的とする強制隔離の場合にも適用されるが、そこでの問題は、同要件がいつ充たされなければならないかという点である。通常の緊急避難と異なり、強制隔離の場合には、その始期から終期までずっと、この「法益均衡の原則」が充たされる必要があるという点である。強制隔離が開始された時点で充たされたからといって、そのことはその後も充たされるということを少しも意味しない。「法益均衡」のバランスが崩れた場合には、当該強制隔離は違法に転じることになるという点を忘れてはならない。この点は「現在の危難」や「補充性の原則」についても同様である。
 ちなみに、熊本地裁判決は、「らい予防法」の強制隔離条項に関して遅くとも1960年にはこの「法益均衡」が崩れたと判示したが、制定当時から「現在の危難」要件や「補充性の原理」要件が欠けていたとすれば、「法益均衡」の要件も制定当時から欠けていたことになろう。

 

 

三 適正手続

 

1.熊本地裁の判示


 熊本地裁判決の判示は、これだけではない。次のように警告している。
「新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理に委ねることは、もともと少数者の人権擁護を脅かしかねない危険性が内在されている」(同書284−285頁)
 この危険性にどのように対応するのかも、強制隔離とそのための根拠規定が合憲とされる根拠と要件を検討するうえで重要な問題となる。この点で注目されるのは、憲法31条が規定する適正手続の保障である。しかも、最高裁判所は、平成4年7月1日の大法廷判決(『憲法判例百選(第4版)』252頁)において、次のように述べて、行政手続にも適正手続の保障は及ぶとしているのである。
 「憲法31条の定める法定手続きの保障は、直接には刑事手続きに関するものであるが、行政手続きについては、それが刑事手続きでないとの理由のみで、その全てが当然に同条の保障の枠外にあると判断することは相当ではない。」
同判決には、園部裁判官による「意見」も付されているが、同意見も、「個別の行政庁の処分の趣旨・目的に照らし、刑事上の処分に準じた手続によるべきものと解される場合において、適正な手続に関する規定の根拠を、憲法31条又はその精神に求めることができる」とした。
 とすれば、強制隔離規定の制定及び運用の各過程において適正手続の保障が欠ける場合には、当該規定は憲法に違反し、適法なものとすることはできないということになろう。医療行為の適法化の要件として「メディカル・デュープロセス」(甲斐克則『医事刑法研究1』及び同『医事刑法研究2』などを参照)を掲げる見解も有力化している。

 

2.告知と聴聞


 憲法31条の適正手続の内容としてとりわけ重要なのは「告知と聴聞」を受ける権利であるとされる(芦部信喜=高橋和之補正『憲法第三版』223頁などを参照)。ここに「告知と聴聞」とは、公権力が国民に刑罰その他の不利益を科す場合には、当事者にあらかじめその内容を告知し、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないというものである。この権利が刑事手続における適正性の内容をなすことは、すでに判例も認めているところである(最大判昭和37年11月27日刑集16巻11号1593頁)。
問題は行政手続の場合である。というのも、同大法廷判決は、次のように述べて、刑事手続に要求される適正手続と行政手続に要求される適正手続との間には差異が認められるとするからである。
 「同条(憲法31条)による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続きは、刑事手続きとその性質において自ずから差違があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合衡量して決定されるべきものであって、常にそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。」(前掲『憲法判例百選(第4版)』252頁)。
 しかし、強制隔離がもたらす人権制限の甚大性と継続性などに鑑みると、行政手続であっても、強制隔離規定の制定及び運用の各過程において要求される適正手続というのは、刑事手続において要求されるそれに準じたものと解するのが相当であろう。とすれば、強制隔離規定の制定及び運用の各過程においては、この「告知と聴聞の手続が保障されなければならないということになろう。すなわち、当事者にあらかじめその内容を告知し、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないということがそれである。
 適正手続の保障の一環として「告知と聴聞」の手続が必要なことは、今次の「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の一部改正でも不十分ながらも受け入れられたところである。上述したように、「患者の人権の尊重の観点から、就業制限、入院勧告等の措置に関し、感染症の審査に関する協議会の意見聴取、患者の意見陳述及び苦情の申出等の手続を整備すること」とされ、「都道府県知事は、入院の勧告をしようとする場合には、当該患者又はその保護者に、適切な説明を行い、その理解を得るように努めるとともに、都道府県知事が指定する職員に対して意見を述べる機会を与えなければならない。」「都道府県知事の勧告又は措置により入院している患者またはその保護者は、当該患者が受けた処遇について、文書又は口頭により、都道府県知事に対し、苦情の申出をすることができる。」旨の規定が挿入されたからである。

 

3.憲法37条3項と厳格立証


 憲法37条3項は、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国がこれを付する。」と規定している。今次の刑事司法制度改革により、被疑者段階の公的弁護人制度が導入されることも正式に決まった。被疑者・被告人だけでは、「弁解と防御」を有効に行うことは困難だと考えられているからである。強制隔離の場合、この困難さは刑事手続に勝るとも劣らないものがある。憲法上、明文規定はないが、人権制限の甚大性などに鑑み、公衆衛生を目的とする強制隔離についても、適正手続を保障するために、憲法37条3項に準じた権利擁護制度が要請されているものと解される。
 強制隔離を合憲化するための要件の立証ないし証明の程度もあわせて問題となるが、通常の緊急避難と異なり、強制隔離についての立証ないし証明の程度は、強制隔離がもたらす人権制限の甚大性に加えて、緊急避難行為を行う者が国だという事情に鑑みれば、刑事裁判において検察官に要求される「厳格立証」(=合理的な疑いが残らない程度の立証)に近い程度の立証ないし証明が必要だと解するのが相当であろう。

 

四 「精神障害者」に対する強制隔離治療

 

1.日本の精神医療


 日本の「精神障害者」の総数は220万人ないし217万人と推定されている。入院患者の総数はおよそ33万人ないし34万人。任意入院患者も含む全ての入院患者の半数を超える17万人ないし18万人の患者は24時間出入口を施錠された閉鎖病棟に隔離されているといわれている。また、入院隔離の期間は全体の半数近くの15万人が5年以上の長期に至っている。これに対し、1年間に懲役あるいは禁固刑の有罪判決を受ける人はおよそ4万6千人。このうち実刑判決を受けて実際に刑事施設に収容される人はわずか2万人にとどまる。しかも、収容される期間が5年間を超える人は2万人のうちの6%ないし7.5%の1200人から1500人に過ぎない。これは「精神障害者」の施設隔離の実に100分の1である。
 「精神障害者」に対する差別・偏見の壁の厚さについては改めて述べるまでもない。この差別・偏見のために必要な精神医療の受診を断念している人たちも少なくない。この差別・偏見で重要なことは、それは国の誤った「精神障害者」隔離政策が引き起こした差別・偏見だという点である。患者隔離は、怖い、恐ろしい、役に立たない、迷惑だ、といった患者への誤った社会認識を作り出し、助長してきた。このことは、ハンセン病訴訟において、国も確認したはずのことである(前述『市民と刑事法』189頁以下などを参照)。2001年5月11日の熊本地裁判決は、こう判示している。「新法(らい予防法-引用者)の存在は、ハンセン病に対する差別・偏見の作出・助長・維持に大きな役割を果たした。このような法律が存在する以上、人々が、ハンセン病を強烈な伝染病であると誤解し、ハンセン病患者と接触を持ちたくないと考えるのは、無理からぬところであり、法律が存続し続けたことの意味は重大である。」(前述『ハンセン病国賠訴訟判決』255頁)
 誤った社会認識は是正されなければならない。是正する責任が国にはある。国の誤った政策によって作出された差別・偏見の場合はなおさらである。国が「世論」「民意」に追随することは許されない。
 犯罪白書によると、「精神障害者」の犯罪率は、一般の3分の1ないし4分の1の低率で推移している。その再犯率も一般の2分の1の低率である。「精神障害者」の犯罪率、再犯率が高いとする証拠はない。多くの証拠はむしろ少ないことを示している。
 精神医療は、一般医療とは質の異なる特別に低劣な医療と格付けされ、「医療なき隔離収容」と酷評され続けてきた。2002(平成14)年12月13日、公衆衛生審議会意見書は、精神医療施策の改善方策を指摘し、特に精神医療スタッフの増員、充実を求めた。一般医療の3分の1ないし2分の1のスタッフを定めた国の基準でさえをも下回り続けている施設が3割に及んでいると指摘し、改善方策を求めたのが、この意見書であった。意見書は、総合病院や大学病院の精神病棟においては、少なくとも新たな医療法上の一般病床と同じ人員配置の水準を確保すべきだとした。このような低劣な精神医療の下で、 国公立の施設をも含めて、目を覆うべき患者虐待が繰り返されてきたことも見逃せない。精神科医療スタッフはこぞって精神病院という隔離施設に縛りつけられているために、隔離施設以外の場では精神科医療の有能な人材が決定的に不足している。それはハンセン病の医療スタッフの場合と同様である。

 

2.精神保健福祉法による措置入院


 「精神障害者」に対する強制隔離治療を規定しているのは精神保健福祉法と医療観察法である。上述の緊急避難の法理及び適正手続の保障は、これらの規定の合憲性を判断するに当たっても基準とされるべきであろう。
 それでは、精神保健福祉法による措置入院の場合はいかがであろうか。緊急避難の法理及び適正手続の保障を充たしているといえるのであろうか。否であることは明らかであろう。適正手続の保障に欠けるところが甚だしいからである。「都道府県知事は、入院及び入院の勧告をする場合には、患者等に対し適切な説明を行い、その理解を得るよう努め、入院の勧告又は入院の措置をしたときは、遅滞なく、感染症の審査に関する協議会に報告するとともに、入院の延長の勧告をしようとする場合には、患者等に対し、意見を述べる機会を与えなければならないものとすること」といった改正感染症法中に挿入された規定さえも欠いている。それだけではない。「医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあること」という措置入院の要件には、緊急避難の法理において最重要の「補充性の原則」は付されていない。「法益均衡の原則」についても配慮は少しも認められない。「現在の危難」という要件を充たしているかも疑問である。違憲の謗りは免れがたいといえよう。

 

3.医療観察法による入院等の強制と緊急避難の法理

医療観察法による入院等の強制の場合はいかがであろうか。周知のように、医療観察法は、入院強制について、次のように規定している。

第33条

 検察官は、被疑者が対象行為を行ったこと及び心神喪失者若しくは心神耗弱者であることを認めて公訴を提起しない処分をしたとき、又は第二条第三項第二号に規定する確定裁判があったときは、当該処分をされ、又は当該確定裁判を受けた対象者について、対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要が明らかでないと認める場合を除き、地方裁判所に対し、第四十二条第一項の決定をすることを申し立てなければならない。ただし、当該対象者について刑事事件若しくは少年の保護事件の処理又は外国人の退去強制に関する法令の規定による手続が行われている場合は、当該手続が終了するまで、申立てをしないことができる。

第34条


  前条第一項の申立てを受けた地方裁判所の裁判官は、対象者について、対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要が明らかにないと認める場合を除き、鑑定その他医療的観察のため、当該対象者を入院させ第四十条第一項又は第四十二条の決定があるまでの間在院させる旨を命じなければならない。この場合において、裁判官は、呼出し及び同行に関し、裁判所と同一の権限を有する。
 2 前項の命令を発するには、裁判官は、当該対象者に対し、あらかじめ、供述を強いられることはないこと及び弁護士である付添人を選任することができることを説明した上、当該対象者が第二条第三項に該当するとされる理由の要旨及び前条第一項の申立てがあったことを告げ、陳述する機会を与えなければならない。ただし、当該対象者の心身の障害により又は正当な理由がなく裁判官の面前に出頭しないため、これらを行うことができないときは、この限りでない。
 3 裁判所は、検察官が心神喪失者と認めて公訴を提起しない処分をした対象者について、心神耗弱者と認めた場合には、その旨の決定をしなければならない。この場合において、検察官は、当該決定の告知を受けた日から二週間以内に、裁判所に対し、当該申立てを取り下げるか否かを通知しなければならない。

第42条


  裁判所は、第三十三条第一項の申立てがあった場合は、第三十七条第一項に規定する鑑定を基礎とし、かつ、同条第三項に規定する意見及び対象者の生活環境を考慮し、次の各号に掲げる区分に従い、当該各号に定める決定をしなければならない。
 一 対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせてこの法律による医療を受けさせる必要があると認める場合 医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定
 二 前号の場合を除き、対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、この法律による医療を受けさせる必要があると認める場合 入院によらない医療を受けさせる旨の決定
 三 前二号の場合に当たらないとき この法律による医療を行わない旨の決定
  2 裁判所は、申立てが不適法であると認める場合は、決定をもって、当該申立てを却下しなければならない。

 

第43条


 前条第一項第一号の決定を受けた者は、厚生労働大臣が定める指定入院医療機関において、入院による医療を受けなければならない。
 2 前条第一項第二号の決定を受けた者は、厚生労働大臣が定める指定通院医療機関による入院によらない医療を受けなければならない。
 3 厚生労働大臣は、前条第一項第一号又は第二号の決定があったときは、当該決定を受けた者が入院による医療を受けるべき指定入院医療機関又は入院によらない医療を受けるべき指定通院医療機関(病院又は診療所に限る。次項並びに第五十四条第一項及び第二項、第五十六条、第五十九条、第六十一条並びに第百十条において同じ。)を定め、その名称及び所在地を、当該決定を受けた者及びその保護者並びに当該決定をした地方裁判所の所在地を管轄する保護観察所の長に通知しなければならない。


第44条 


 第四十二条第一項第二号の決定による入院によらない医療を行う期間は、当該決定があった日から起算して三年間とする。ただし、裁判所は、通じて二年を超えない範囲で、当該期間を延長することができる。

 


 これらの規定によれば、強制入院等の要件とされるのは「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要がある場合」である。問題はこの要件が緊急避難の法理によって要求される「現在の危難」、「補充性の原則」、「法益均衡の原則」などを充たしているか否かである。
 もっとも、これには、同要件に基づく強制入院等は、保安処分を内容とするものではなく、対象者への治療と社会復帰への手助けを定めたものであり、主として対象者の利益を提供するものであるから、緊急避難の法理は必ずしも要求されないといった反論があるかもしれない。しかし、同入院については、措置入院と同様、保安処分という評価は免れがたいように思われる。仮に同入院が「法的パターナリズム」に基づく保護処分的なものであるとしても、そのことは緊急避難の法理の適用を免除する理由とはなりえない。本人の同意を欠く以上は、その適法化は緊急避難の法理によるというのが判例・学説の態度だからである。学説によれば、パターナリズム的干渉も必要最小限にとどめられるべきだとされていることは既に紹介したところである。
 緊急避難の法理の適用という観点からみた場合、医療観察法による強制入院の要件は、表現の違いがあっても、措置入院の要件から大きく出るものではない。改正感染症法にみられるような「補充性の原則」は付されていないからであり、「法益均衡の原則」についても配慮は少しも認められないからである。「現在の危難」についても、同様である
 「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要がある場合」という要件は、措置入院の場合の「医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあること」という要件と同様に、「精神障害」と「自傷他害行為」又は「重大な他害行為」とが原因と結果の関係にあることを前提にしている。「精神障害」と現に行われた「重大な他害行為」等とは、他の諸事情と異なり、固有の関連性をもつ。「精神障害」を改善すれば、「重大な他害行為」等は反復しない。このように考えられている。しかし、そもそも、「精神障害」と「重大な他害行為」等との間に固有の関連性に関する確立した医学的知見は存在しない。反復されるとされる「重大な他害行為」等の将来予測が困難な問題だということは、法務省でさえも認めているところである。声高に再犯予測が可能だという主張するものでさえも、その予測は一般には3割の正答率にとどまるとされる。精神障害者の犯罪率が、再犯率が一般と比べて高いとはいえないことは法務省自身も認めるところである(前述『市民と刑事法』193頁などを参照)。
 とすれば、検察官から請求を受けた裁判所では、相互関連性のない過去における「重大な他害行為」の存在と現在における「その当時の精神障害状態」の未改善とを各認定し、その上に、これらの認定と相互関連性がなく、科学的な根拠に欠けるために7割以上の誤判が生じる危険性を構造的に抱える「再犯予測」の判断を規範的(実は社会防衛的ないしパターナリズム的)に行うことによって、強制入院等の是非を判断せざるを得ないということになろう。しかも、この審判においては、過去における「重大な他害行為」の存在についても、「再犯予測」判断についても、刑事裁判では罪体の立証に要求される厳格立証は要求されていないのである。これによって「現在の危難」要件が充足されたとすることが全くできないことは改めて詳述するまでもなかろう。実体法的にみて、正当化は困難といわざるをえない。
 なお、医療観察法の運用においては、「治療可能性」がない者や「退院可能性」のない者については、入院強制の対象から除外されているようである。付添い人活動の大きな成果といえないこともない。しかし、これによって入院強制の合憲性が確保されたとすることはできない。「治療可能性」のない者や「退院可能性」のない者を入院させないということは、「治療」ということからくる当然の帰結であって、専断的治療ないし強制治療を正当化する根拠とはなりえないからである。

 

4.医療観察法と刑事手続並みの適正手続の保障


 医療観察法は、第35条において、「裁判所は、第三十三条第一項の申立て(入院又は通院の申立てー引用者)があった場合において、対象者に付添人がないときは、付添人を付さなければならない。」と規定する。問題は、この必要的付添い人制度によって、刑事手続並の適正手続が保障されたと評価しえるかである。否といえよう。弁護権の保障を欠き、弁護人との秘密交通権、自白の補強法則、伝聞証拠排除の原則など、いずれも保障の限りではない。入院強制等の要件の認定に当たって、刑事裁判において検察官に要求される「厳格立証」(=合理的な疑いが残らない程度の立証)が要求されていないことも上述したところである。刑事裁判では、まがりなりにも当事者主義が採用されており、被告人に一方当事者の地位が認められているが、医療観察法による審判においては、対象者には裁判の主体として活動しうる地位は認められていない。これでは特別裁判所による差別的な裁判の実施にしか過ぎないと批判されている(前述『市民と刑事法』196-197頁などを参照)。適正手続の保障の面からみても、違憲の疑いは強い。 

以上

 


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