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精神障害者と触法行為をめぐる日本精神神経学会の議論

日本精神神経学会 精神医療と法に関する委員会委員
中島 直(精神科医)
多摩あおば病院
2002年12月

はじめに
I  保安処分推進に向けて委員会活動が行われていた時期
  1 前史
  2 刑法改正問題研究委員会と意見書、意見交換会
II 保安処分反対論の登場
  1 青木、岡田、関口の登場
  2 意見書案不承認に
III 金沢学会から保安処分に反対する総会決議へ
  1 金沢学会
  2 71年総会シンポジウム「刑法改正における保安処分問題と精神医学」
  3 保安処分に反対する総会決議
IV 保安処分をめぐる法務省とのやりとり
  1 保安処分に反対する委員会の発足
  2 改正刑法草案公表
  3 72年総会シンポジウム「いわゆる精神病質について」
  4 法制審議会、改正刑法草案答申
  5 新宿バス放火事件、深川通り魔事件を契機とした保安処分推進の動き
V 日弁連「要綱案」をめぐって
  1 「要綱案」の公表
  2 「要綱案」への反発
  3 「刑事局案」の公表
  4 野田レポートとその波紋
  5 82年総会シンポジウム「保安処分」
  6 日弁連と医療従事者とのやりとり
VI 赤堀問題委員会の活動
VII 宇都宮病院事件、精神保健法成立と「処遇困難者専門病棟」構想
  1 宇都宮病院事件発覚
  2 処遇困難者専門病棟問題
  3 92年総会シンポジウム「医療環境といわゆる処遇困難者問題」
VIII 「触法精神障害者」問題への焦点化
  1 学会の動きの変化
  2 99年総会シンポジウム「司法精神医学の現代的課題」
  3 国会附帯決議と合同検討会
  4 01年総会シンポジウム「刑事司法における精神障害者の現状」
  5 池田小学校児童殺傷事件を契機とした動き
IX これまでのまとめと今後の展望

 

はじめに

筆者に課せられた課題は、精神障害者と触法行為をめぐる学会の委員会の活動の歴史である。そもそも医学・医療実践や学会活動は社会情勢と無縁ではあり得ないが、この活動も学会外の状況の影響を非常に強く受けたものの一つである。紙数の限りはあるが、可能な範囲で外部の状況についても記しつつ、委員会活動の歴史についてまとめることとする。周知のごとく、最大の論点は保安処分をめぐってのものであるので、それを中心とした記載になる。

 

I  保安処分推進に向けて委員会活動が行われていた時期

1 前史

現行刑法が成立したのは1907年である。保安処分新設に向けての動きは戦前から存在した。1921年、高橋是清総理(当時)が刑法改正を諮問し、1940年に、禁固以上の刑にあたる罪を犯した精神障碍者またはいん唖者(いんあしゃ)に対する監護処分、酩酊または麻酔の状態で罪を犯した習癖者に対する矯正処分、浮浪または労働嫌忌により常習的犯罪を犯す者に対する労作処分、刑の執行を終わったが殺人などをなすおそれが顕著な者に対する予防処分の4種の保安処分を規定した改正刑法仮案が出された。しかし第二次世界大戦によりこの検討作業は中断した。戦後、1956年に刑法改正準備会が設置され、1961年に刑法改正準備草案が出された。同案は、精神障害者が禁固以上の刑にあたる行為をし、責任無能力ないし限定責任能力とされて刑の減免が行われるとき、将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがある場合に、保安施設への収容を内容とする治療処分(「仮案」の監護処分にあたる)を言い渡すことができるとした。また、「仮案」の矯正処分にあたる禁断処分も規定した。ここまでの経過においても、学会および学会員が関与していた可能性があるが、資料がない。

 

2 刑法改正問題研究委員会と意見書、意見交換会

この問題への学会の関与が初めて記録に上るのが同年4月12日の学会第58回総会である。上記の状況を受け、保安処分の立法化につき意見を求められる可能性があるとの認識に基づき、委員会を作ることが決定され、吉益脩夫を委員長として刑法改正問題研究委員会が設置された(精神経誌、63(6):669,1961)。同委員会は活動していたようであるが、59回総会(精神経誌、64(6):653,1962)、60回総会(精神経誌、65(4):379,1963)、61回総会(精神経誌、66(6):511,1964)、62回総会(精神経誌、67(4):525,1965)での報告では検討内容の詳細は明らかにされていない。なおこのころ、いわゆるライシャワー事件に関連した精神衛生法の改定の作業に対して、治安に重点を置いたものとして反対する動きもあり、精神衛生法改正についての陳情書(精神経誌、66(5):427,1964)、声明書(精神経誌、67(3):307,1965)が、それぞれ理事長名で出された。
 1965年、委員長が中田修に代わった刑法改正問題研究委員会が、刑法改正に関する意見書第1次案を出した(精神経誌、67(10):1052-1055,1965)。その内容は、上記の改正刑法準備草案に規定された保安処分に関し、保安処分を必要とし、危険な常習犯人、労働嫌忌者に対しても対応すべき、去勢も考慮すべき、禁断処分は最長2年では不十分とするなど、準備草案の視点をより徹底させることを主張したものであった。
 1966年1月8日、第1回刑法改正問題に関する意見交換会が開かれた(精神経誌、68(6):928-929,1966)12*,13*。「保安処分の根本的考え方については討論はふかまらなかった。」とされており、保安処分制度そのものへの明白な反対論は記されていない。労働嫌忌者への処分の規定や去勢について批判がなされ、その他用語の問題などが議論されている。

 

II 保安処分反対論の登場

1 青木、岡田、関口の登場

こうした学会の保安処分推進の方針に対し、精神科医として初めて反対の声を公にしたのが青木であり、1966年2月のことである5*。生来性の犯罪者がいるという人間観の問題性、精神病質者概念の不明確さ、精神病者の犯罪率は低いこと、日本の精神科医療の事情が極めて悪いこと、政治犯が保安処分の対象になるおそれがあることなどが批判点として挙げられている。次いで岡田6*が批判論を展開した。犯罪者であっても精神障害者に必要な医療の機会は保障されるべき、精神病質者に対する医学的治療でできることはほとんどないとした上で、責任無能力または限定責任能力で医療を要するとされた者は精神病院で治療し、そのうち重大な犯罪を犯した者や反社会的傾向の著しい者は国立の特殊精神病院を作ってそこに収容するとの案を出している。但し岡田はその後この特殊精神病院構想については撤回している1*。さらに関口8*は、刑法学者の議論も踏まえて詳細な批判を展開している。学会意見書は特定の学説と一部の人々の意見であること、犯罪統計上犯罪を犯した精神障害者の率は取るに足らないこと、保安処分は刑罰の合理化(能率的で安上がりな刑罰)という発想から出てきていること、精神障害者を犯罪に駆り立てるものは社会政策の貧困と精神衛生対策の欠如であり、司法警察権力に依拠した対策は本来の精神医療の進歩を妨げること、法務省施設における現実の予算支出をみれば出来上がる保安施設の貧困さは予想でき、現在なら病院で治療を受けられる人々をこうした施設に追い込むものであること、保安処分を云々するよりは医療刑務所の改善が先決であり精神科医も強い関心を持つべきであること、常習犯人に対する処分の主張は精神科医の役割とはいえないこと、他国の状況を見ると保安拘禁を行っても犯罪は増加しているし、むしろ社会が受ける損害が大きい犯罪に対しては影響しないこと、精神病質概念は明確でないことなどを指摘し、また委員会の存在自体一般会員にはほとんど知られていなかったなどの問題があり、委員を民主的手続きによって選出しなければならないとしている。
 岡田2*は、のちに、このころの大方の精神科医には、精神科医療の厄介者である「犯罪性精神障害者」を保安処分が片付けてくれるだろうという思いがあったと指摘している。また、岡田3*は、保安処分に反対する最初の論文を記すときに、本名でなく筆名を使った方がよいのではないかと心配されたとしている。

 

2 意見書案不承認に

こうした背景のもと、同年6月11日に第2回刑法改正問題に関する意見交換会13*が開かれた(精神経誌、68(6):929-930,1966)。この場で刑法改正に関する意見書第2次案が配布されたようであるが、それは一般会員には公表されず、精神経誌にも作製されたとの事実が記録(精神経誌、68(3):548,1966)されているのみで内容は掲載されていない。岡田7*によると、この第2次案は、一般会員には公表されておらず、第1次案からの修正点は、労働嫌忌者・去勢などの条項は削除されたが、保安施設は既存の精神病院や矯正施設とは別箇の施設とすること、危険な常習犯人は精神障害者と見なすこともできるとして刑罰とあわせて保安処分も賦課するのがのぞましいとするなど、より保安処分の考え方を明確にしたものであった。第2回意見交換会では、学会は刑法改正にいっさい協力すべきでない、といった反対論が噴出し、結論が出ない事態に至った。
 こうした経過を受け、刑法改正問題研究委員会は、刑法改正に関する意見書第3次草案を公表した(精神経誌、69(1):111-115,1967)。第1次案に存在した常習犯や労働嫌忌者への保安処分の提唱を削除し、収容期間についても若干表現を改め、人権への配慮を必要と謳うなど、穏当なものになっており、刑事政策的観点をより徹底させるべきとの観点からの提言は後景化しているが、保安処分を「将来のため甚だ有意義」とするなど基本姿勢は変わっていない。同年11月26日の第3回刑法改正問題に関する意見交換会(精神経誌、69(1):115-116,1967)では、賛成、反対論に根本的なくい違いがあり、結論が出なかった。
 翌1967年4月の第64回学会総会で、刑法改正に関する意見書案は承認されず、刑法改正問題研究委員会は解散となり、今後なお慎重に検討を加えるための委員会が作られることとなった(精神経誌、69(4):388,1967)。広瀬貞雄を小委員長として、学会法律関連事項委員会刑法・少年法に関する小委員会が作られ、同年10月2日に第1回会合が開かれた(精神経誌、69(10):1187,1967)。

 

III 金沢学会から保安処分に反対する総会決議へ


1 金沢学会

1969年5月、第66回学会総会(金沢学会)(精神経誌、71(5):517-518,1969、精神経誌、71(6):607-616,1969)が開かれた。学術講演、シンポジウムは行われず、理事会の不信任案が可決され、新理事が就任した。新理事会は、「基本的態度」で、上述の刑法改正に関する意見書案につき、「精神障害者の人権を守る立場をみずから放棄した。」と否定的に総括し、「精神障害者の問題は精神医療担当者にゆだねるべきであり、司法、警察権の介入は許すべきでないという基本的な態度で今後検討する。」とした。これにより、学会は保安処分反対の方向へはっきりと態度表明したのである。1970年4月の刑法・少年法に関する小委員会(逸見武光委員長)報告(精神経誌、72(7):762-764,1970)では、「精神障害者に関する諸問題については、基本的には、医療と社会保障の充実によって解決すべきであり、精神障害者なるが故に一般人には人権上問題となるような保安処分等の刑事政策が、それに代わる手段として、かりそめにも正当化されることは許されるべきではない。」「刑法改正問題研究委員会時代は、一般会員のあいだに保安処分問題についての認識が乏しく、保安処分制度ができれば現に病院でこまっている精神病質者などの問題がかたづくのではないか、という漠然とした期待があった。」「精神障害者の社会復帰の可能性が現実的なものとして根づきだし、精神障害者による社会的問題行動のほとんどは継続的かつ充分な医療によって防止できることもひろく認識されてきた。さらに、第66回日本精神神経学会総会においては、現在の精神医療そのものが社会防衛的機能をおわされ、反医療的歪曲をうけている点が、会員一人一人に深く認識された。」「本小委員会は、『保安処分』の新設に反対するという考えでまとまった。」とした。

 

2 71年総会シンポジウム「刑法改正における保安処分問題と精神医学」

1971年6月14日、総会シンポジウム「刑法改正における保安処分問題と精神医学」が開かれた(精神経誌、74(3):189-230,1972)。司会は高木隆郎および逸見武光、シンポジストは平野竜一、中山研一、樺島正法の3人の法律家、および樋口幸吉、西山詮、中山宏太郎の3人の精神科医であった。
 平野は、法制審議会刑事法特別部会第3小委員会で出された2つの保安処分案の内容とそれに至る経緯を紹介した。イ案(A案とも呼ばれた)は、禁固以上の刑にあたる行為をした精神障害者を原則として裁判所の判決等によって法務省の施設に入れるとし、処分の期限を設けず、精神病質者は対象として想定していないものである。これに対しロ案(B案とも呼ばれた)は、同様の精神障害者に対し原則としては現行の措置入院で対応するが、例外として裁判所の命令での入院ないし法務省施設への収容を定めたもので、入院には期限を設けないが収容の場合には期限を区切り、また精神病質者を対象とするか否かは議論の余地を残したものである。そして、法制審議会においてはイ案が採用され、答申される予定である。危険な精神障害者を閉じ込めるという考え方が強く出ているイ案に対し、ロ案はたとえ犯罪行為があっても精神障害者への医療を保障するという動機がある。しかし精神医学会の中にも、精神病院というものはだんだん開放的な処置をやろうとしている、裁判所からの命令によって収容された者が逃走したら責任を問われるであろう、としてロ案に反対する意見もあった。自分の見解としては、精神病者に関する限りは保安処分は不要で現在のままでもやっていけるが、現に府中刑務所などに誰が見ても精神病質だと思われるような人が100人ないし200人は常時いるので、そういう人に対する対応が必要であろう、とし、精神病質者を対象に含めたロ案を提唱した。
 中山(研)も法制審議会での討議を踏まえつつ、保安処分の問題点を指摘した。刑法学会でも、治安を優先させるイ案へは消極的であるという考えが支配的になってきており、ロ案についてはまだ議論しなければならない問題が含まれている。裁判所の関与があるということが、デュー・プロセスの保障になるか、より保安的な観点を入れることになるかが分かれ道になる。措置入院者が短期間で退院してしまうこと、刑務所では治療が不足していること、患者ないし被害者、誰の人権を尊重するのかという問題があることなどを挙げ、保安処分反対論は説得的に展開される必要があり、こうした問題が克服される必要があると述べた。
 樺島は、保安処分が精神病質者に適応されると結局絶対的不定期刑となること、市民的安全を軸にするということは地域社会等を治安的に再編するものであるおそれがあること、精神病質概念は公安事件等に適応される可能性がきわめて強いことなどから、イ案であろうとロ案であろうと保安処分には反対であると述べた。凶器準備集合罪が、立法当時には拡大解釈をしないことが明言されており国会の議事録に残されているのが、近年の運用ではそれが当たり前のように行われていることを例に挙げ、政治的利用の可能性を強調した。
 樋口は、矯正医療に携わる立場および心神喪失者の事後調査等の経験から発言した。保安処分制度がないために刑罰等になじまない精神障害者が数多く矯正施設に送り込まれてきており、精神医学的処遇理念が達成されれば有効であるが、それには多大な困難が伴う。心神喪失となった人でもその後医療が施されていない例が多い。精神病院へ入った例も再犯率は低いが、良心的なアフターケアがなされているとは言えない。措置入院には制度と運用の両面において著しい欠陥がある。これらの指摘をもとに、単独立法でも保安処分を実現すべきであると述べた。樋口自身もイ案には批判的で、ロ案の側に立った発言を行っている。
 西山は、精神障害者の将来の危険性の予測が容易であって人権侵害のおそれがないという保障はなく、精神障害者に対する偏見と差別に基づいているとしか考えられないこと、医療をさらに保安的に強化するものであること、犯罪者を精神障害者とみなすような犯罪生物学の問題性、保安処分が政治的に利用される危険性があること、精神病質は生来性犯罪人説となりまた逮捕される人間を管理することに適した理論でその者の理解に資する理論ではないこと等を挙げ、保安処分新設論に反論した。
 中山(宏)は、病床数の地域差から、入院率と経済・労働政策が密接に結びついているとし、また医療機関が大量収容と希薄な医療を前提としていること、措置入院は治療のための入院ではなく公安上の必要であること、慢性患者への精神医学の貢献は乏しいこと等を挙げ、保安処分は抑圧の強化であるとした。
 討論では、精神病質概念の歴史規定性と乱用の可能性および医学的概念としての妥当性、犯罪生物学の科学性に対する批判と反批判、自然犯罪と政治犯の混同への批判、米軍や天皇制への告発を精神障害とされた事例の紹介、精神病質者への保安処分に対する反対意見、予測の不明確性、治療可能性の有無をどう考えるか、等が議論になった。予定されていた時間より1時間延長したが、それでも足りず、また司会の進行についての自己批判および謝罪要求も出された。

 

3 保安処分に反対する総会決議

そして、翌15日、総会(精神経誌、73(6):537-538,1971)で、「違法な行為を行った人であっても、精神障害者に対しては、何よりも医療が先行すべきであり、保安処分は、治療の名のもとに、障害者を社会から排除しようとするものにほかならない。」「また、保安処分の考えは、精神障害者即犯罪素質者という、誤った先入観に発するものである事、精神障害者概念の拡大によって、保安処分制度が、一般市民の人権をも侵害するものとなる危険性がある事を指摘しなくてはならない。」などを理由とした保安処分制度新設に反対する決議が、挙手により賛成446、反対2、保留4で可決された。また、刑法改正問題研究委員会の意見書案を廃棄するとの附帯決議も、賛成360、反対3、保留71、委任状8で可決された。
 これらの決議は、このように、空前にして少なくとも現在に至るまでは絶後の多数をもって行われたものであった。この内容および学術団体としての性格とこうした決議との異質性からこれに疑義を唱える者もあったが(精神経誌、73(9):738,1971、精神経誌、74(3):298-299,1972)、理事会、評議員会により、この疑義には反駁がなされた(精神経誌、74(3):280,1972、精神経誌、74(3):298,1972)。

 

IV 保安処分をめぐる法務省とのやりとり

1 保安処分に反対する委員会の発足

1971年7月31日、中山宏太郎を委員長とし、保安処分に反対する委員会が発足した(精神経誌、73(7):608,1971)。同年8月、同委員会は、保安処分制度新設に反対する意見書を出した(精神経誌、73(9):739-741,1971)。ここで挙げられた保安処分反対の理由は、(1)精神障害者及び酒精薬物嗜癖者に保安処分を課す理由があげられていない、(2)精神障害者、酒精薬物中毒者に対して将来的危険性の確実な予測表は存しない、(3)精神障害の診断、責任能力の判定の困難さ。刑事政策に影響されやすく、とりわけ精神病質概念は問題、(4)政治的弾圧の手段となる、(5)拘禁状況下において治療が成立するのは至難のわざ、(6)精神障害者、酒精薬物嗜癖者の個人の自由の保障を認めないことになり、刑事政策による精神科医療に対する不当な圧迫である、といった諸点である。

 

2 改正刑法草案公表

1972年、法制審議会刑事法特別部会が、改正刑法草案を公表した。治療処分および禁絶処分の二種の保安処分を裁判所が言い渡すことができるとしている。前者は、精神障害者が禁固以上の刑にあたる行為をし、責任無能力ないし限定責任能力とされて刑の減免が行われる場合に、将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがあり、保安上必要と認められるときに言い渡すことができるものである。保安施設に収容され、その期間は3年であるが、必要と認められれば2年ごとに更新が可能で、この更新は2回が限度であるが、死刑、無期または短期2年以上の懲役にあたる行為をするおそれのあることが顕著な者についてはこの限りではないとされている。また後者は、過度に飲酒しまたは麻薬、覚せい剤その他の薬物を使用する習癖のある者が、その習癖のため禁固以上の刑にあたる行為をした場合に、将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがあり、保安上必要と認められるときに言い渡すことができるものである。同様に保安施設に収容され、期間は1年で、必要であれば2回まで更新することができるとされている。いずれも仮退所の規定があるが、仮退所ないし退所後も2年間の療護観察が付き、必要とされれば再収容されると規定されている。

 

3 72年総会シンポジウム「いわゆる精神病質について」

同年、総会シンポジウム「いわゆる精神病質について」が開かれた(精神経誌、76(1):1-36,1974)。山本巌夫、畑下一男を司会とし、以下の5人をシンポジストとしたものであった。
 西山詮は、精神病質という概念につき、誰が、誰に対して、何のために適用するかが問題であるとし、国家権力が、人民に対し、刑事政策的に不利益処分を可能にしようとするときに用いられるものであって、帝国主義段階における市民社会と国家が、精神医学的タレントの頭脳を借りて作り出した人間観であるとして、こういうものを精神医学の概念として認めることはできないとした。
 小田晋は、精神医学的診断概念は、人間の他者に対する評価に臨床医学的に構造化したものであり、この評価は文化的な産物であるがある程度の共通性があり、近代精神医学における精神病質概念は近代に成立したものであるが、“変わった人”というのは近代精神医学によって初めて認識されたものではないとした。また、文献的およびアンケート調査を経て、Schneiderの類型の限界についても指摘した。さらに、精神医学の役割上完全な性格学の構築は不要であり異常のみを抽出することも不当とは言えないこと、社会的モデルで把握されるものが医学的でないとは言えないので精神病質が精神医学の対象でないとは言えないこと、病因が明らかでないがそれは臨床的な類型の存在理由を否定するものではないこと、基準のとり方が困難であるがそれは設定の仕方の問題であること、医学は健康概念をもとにしている以上価値規範と無縁ではあり得ずそれが科学的でないとは言えないこと、精神病質概念は不治を前提としているわけではないことなどを述べ、精神病質概念批判論を批判した。
 武村信義は、人格は個々の特性の寄せ集めとしてではなく全体として理解すべきものであり、異常人格の異常とは集団的基準からはずれているという意味であるが、人格の平均基準を規定することができない以上、異常人格の概念は実在から離れた人工的なもので、むしろ人格を理解することを放棄したものであるとし、実在としての精神病質人格は存在せず、精神病質概念および異常人格の概念は不要であるとした。
 逸見武光は、米国の矯正精神医学の歴史について触れ、また本邦においては精神病質者に対する理解は現在の専門家のそれよりも19世紀の終わりころの特に素人の人のそれの方が優れていたとし、また矯正施設の処遇で傷ついた慣習犯罪者に精神病質とラベルを貼ることは非精神医学的であるとして批判した。
 青木薫久は、武村が異常人格概念を捨てるといったことを真摯だと評価した上で、「社会を悩ます」との規定を持つ精神病質概念は非医学的であり、刑事政策に奉仕するものでしかなく、医療の本質を失っているとし、また遺伝素質論は根拠がないとした。
 討論では、出された論点が多岐にわたっており、また必ずしも議論が噛み合っていないところや、感情的なやりとりになっていると考えられる箇所もあるので、要約はできないが、精神病質概念の歴史的意義(肯定的な面も否定的な面も含めて)、Schneiderの定義における「自ら悩む」の意味について、偏っている人とみるか困った問題を持っている人とみるか、精神病質者を含む精神障害者を特別に処遇することが人道的か否か、Schneiderの主張の趣旨、政治犯との関連、精神外科との関連、医学的なレッテル貼りか否かなどといったことが討論されている。

 

4 法制審議会、改正刑法草案答申

1974年5月29日、理事長が、談話「法制審議会が保安処分(案)を最終的に採択・決定しようとしている日に際して」を発表した(精神経誌、76(6):453,1974)。学会の意見を全く無視して可決・採択しようとしていることに抗議し、精神障害者にはなにより医療が優先すべきであり、保安処分ができれば精神障害者がますます医療を避けるようになる、保安施設内での治療は原則的に成立しない、危険性の予測は不可能、精神病質は一般市民にも拡大される、などとした。
 しかし同日、法制審議会は、改正刑法草案を法務大臣に答申した14*。これは、保安処分の章については刑事法特別部会の案をそのまま承認するなど、ほとんどの部分を同部会案から修正せずに維持したものであった。
 1975年8月、保安処分に反対する委員会は、保安処分制度新設に反対する意見書(その2)(精神経誌、77(9):688-690,1975)を公表した。保安処分に反対する理由の項目として、(7)自身の利益を目標とする医療と社会防衛を目標とする保安の基本的理念の相反性、を追加した。
 法務省は、1977年2月より、「刑法改正について意見を聞く会」を、仙台、札幌、福岡、名古屋、広島、高松で開催したが、強い反対意見もあり、予定されていた東京・大阪での開催はできなかった。学会評議員会も、同年11月23日に、「刑法改正について意見を聴く会」について反対する決議(精神経誌、80(6):332,1978)をあげた。学会は保安処分に反対してきており、政府・法務省は学会の意見を無視していること、「刑法改正について意見を聴く会」は、一部を除いてはほとんどの陳述者が法務省から指定されており、はじめから賛成意見が多数を占めるようになっていること、一般の傍聴、報道関係の取材も認められず、議事録も非公開で、このような場で保安処分制度新設に関しての意見が出されたとしても公平な意見とは言えないことなどを会の開催への反対理由として挙げている。

 

5 新宿バス放火事件、深川通り魔事件を契機とした保安処分推進の動き

こうした中、いわゆる新宿バス放火事件が起こった。1980年8月19日夜9時過ぎ、バスターミナルに停車中であったバスのドアから火のついた新聞紙とガソリンが投げ込まれ、乗客が火に包まれて死者5名、負傷者13名を出した事件である。逮捕されたのはその当時路上生活をしていた38歳の男性で、精神分裂病との診断での入院歴があった。3つの精神鑑定が行われ、いずれも精神分裂病は否定したが診断をめぐって議論があり、結局は限定責任能力との鑑定結果を判決が採用し、無期懲役との判決が下され確定した。この男性は1997年に刑務所内で自殺した。
 1980年8月26日、この事件を受け、奥野法務大臣が閣議で保安処分推進発言を行ったことにより、保安処分をめぐる議論が再燃した。これを受け、翌27日、学会理事会と保安処分に反対する委員会は、保安処分についての声明と抗議書を出した(精神経誌、82(11):748,1980)。同年10月25日、学会と、精神科作業療法協会、東京都地域精神医療業務研究会、日本精神医学ソーシャルワーカー協会、日本精神科看護技術協会、日本臨床心理学会、病院精神医学会、日本児童青年精神医学会が集まり、保安処分に反対する精神医療従事者協議会を結成した。翌1981年2月28日、同協議会は声明を出した(精神経誌、83(4):261,1981)。また同年5月28日、学会評議員会は、「改めて刑法改『正』におけるいかなる形の保安処分にも反対する」との声明(精神経誌、83(12):975-976,1981)を発した。保安処分の対象をいわゆる重罪犯に限定し、手続と名称に若干の手直しを行っても、精神障害者を「危険性」の予断にもとづいて予防拘禁を科する保安処分の人権侵害的本質は変わらないこと、一旦新設されれば拡大適用も可能であること、奥野発言に見られるように保安処分推進キャンペーンは精神障害者に対する偏見に乗っているものであること、1971年の保安処分制度新設に反対する総会決議への誹謗中傷もあるがその民主性にいささかの問題もないことなどが述べられている。
 1981年6月17日にいわゆる深川通り魔事件が発生した。29歳の男性が女性や幼児4人を刺殺し、女性2人を負傷させ、他の女性を人質に立てこもり、警官隊の突入により逮捕された事件である。男性には覚せい剤常用の既往があり、また2ヶ月前の刑務所出所後の覚せい剤使用も疑われた。2つの精神鑑定が行われ、両者とも心神耗弱を示唆し、判決もそれを受けて無期懲役が言い渡され、確定した。
 同月19日の閣議で、奥野法務大臣は、再び保安処分推進発言を行った。同年7月27日、学会の理事全員と20大学精神科教授、公立病院長が、保安処分新設の承認を見合わせるよう鈴木総理大臣宛に申入れ書を送付した(精神経誌、84(12):1006,1982。但し送付した事実が記載されているのみで、内容については資料がない)。

 

V 日弁連「要綱案」をめぐって


1 「要綱案」の公表

1981年8月31日、学会と同様に保安処分に反対していた日本弁護士連合会(以下日弁連)が、「精神医療の抜本的改善について(要綱案)」を出した。これは、精神障害と犯罪をめぐる諸問題に関し、刑法「改正」あるいは刑事政策の領域の問題としてとらえることに反対し、あくまで精神医療と福祉の領域の問題として対応していくべきとの日弁連の従前の主張に立脚したものである。第一に、事件の発生がない限り動き出せない保安処分では初犯防止ができないこと、保安処分で治療を行うと言っても精神医療の全体的な実情にそのような医療を推進するべき土台が欠けていること、保安施設における拘禁状況では治療が成立せずかえって病状は悪化し、社会復帰を困難にし再犯の危険性を高めることを挙げ、保安処分に反対している。第二に、精神障害による事件の発生は、医療と福祉によって防止できるとして、入院中心主義の是正・改善、社会復帰対策の確立・推進、地域精神医療対策の確立・推進、入院患者の権利の確立・保障、総合的な課題の是正・改善を精神医療改善の基本方向として掲げた。第三に、生活保障の措置、職業保障の措置、医療上の措置、措置通院制度の検討をアフター・ケア体制の確立の項目として挙げた。第四に、措置入院改善の基本方向として、収容手続、責任能力判定、実施される治療、退院・仮退院の運用等にいくつかの問題を指摘した。第五に、第三者的審査機関の確立を挙げ、地方精神衛生審議会を実質的・全面的に改組して、入院に苦情や不服申立のあったとき、退院の際などに調査・審議を行わせることを提唱した。第六に、薬物中毒者等への対応策として、薬物の供給と需要を断つこと、薬物中毒者を治療すること、禁絶処分は有害無益であることを主張した。第七に、保安処分必要論への回答として、措置入院からの不適切な早期退院や「危険な精神障害者の野放し状態」はこうした提案で解決可能であること、犯罪にあたる行為をした精神障害者とそうでない精神障害者に本質的な区別があるわけではなく一緒に治療もできること、犯罪にあたる行為をした精神障害者に対する治療は罪に対する強烈な自己洞察・反省(時には自らの生命を引かえにするほどに強烈なもの)にむけられた精神医療でなければ進まないこと、医療と福祉による治療効果こそ最大の防止策で初犯にも対応が効果的であること、裁判所の権力的介入があっては真の精神医療が成立し難いので第三者的審査機関とすべきであること、平均的な開放率が低く入院患者の権利が侵害されている状況では真の医療は成立しにくくこの実態から遊離して保安処分における「治療」を主張するのは空論であること、公立病院の役割の増大を含めて国と地方公共団体の政治・行政上の責任が重要であることを述べた。

 

2 「要綱案」への反発

しかし、この要綱案はその後に波紋を呼ぶことになった。学会理事会は、この要綱案につき、精神医療に保安的・社会防衛的機能を求める内容が見られるとして、同年9月5日、理事会としての見解を文章化することとなり(精神経誌、83(12):980,1981、精神経誌、84(12):980,1982)、同月29日、保安処分に反対する委員会との連名で、意見書9*が出された。この意見書は、要綱案は、あくまで治療の結果としてもたらされる精神障害者の犯罪予防が目的として先行しており、こうした社会防衛的視点は精神医療改革の方向に反するものであること、現在危機にあるのは「精神障害者の犯罪」ではなく不当な隔離・収容などその人権であること、精神障害は特異な現象ではないこと、社会の差別・偏見や法的な欠格条項の問題が指摘されていないこと、要綱案の提案する第三者機関は社会防衛的視点を持つものであること、「措置通院制度」も社会防衛的視点に基づくものでありきわめて危険であること、精神医療の諸矛盾をすべて国公立病院に押し付けるのは誤りであること、薬物中毒問題への対応は覚せい剤の根絶以外にないことを挙げ、この要綱案が「全体としてはきわめて危険な結果をもたらすという危惧を抱かざるをえません。」として、白紙に戻しての再検討を要請したものである。
 同年12月5日に予定されていた日弁連の「パネル・ディスカッション刑法『改正』を考える」(名古屋)は抗議行動により中止された。

 

3 「刑事局案」の公表

同年12月26日、法務省は、賛否の対立が著しく、動向を見守ることが相当と認められるものは原則として現行法のとおりとする、という「刑法改正作業の当面の方針」を公表した10*(精神経誌、83(12):981-982,1981)。保安処分の問題についても、「保安処分制度(刑事局案)の骨子」において、いくつかの点について修正を加えた。まず提言されるのは治療処分のみとなった(しかし対象となる精神の障害には薬物使用によるものを含んでいる)。対象となる罪種は放火、殺人、傷害、強姦、強制わいせつまたは強盗に限定した。収容する施設は治療施設とされた。収容期間は1年とし、裁判所が必要と認めれば更新可能とした。処分の対象者を心神喪失者に限るか否か、治療施設として国立精神病院等を用いることの可否については「検討中である」とされている。
 同日理事会と保安処分に反対する委員会は、「法務省の『治療処分』案に強く反対する」とする声明(精神経誌、83(12):980-981,1981)を発表した。保安処分の危険な本質は変わっていないこと、「予測」は不可能であること、「治療」と「処分」は両立不可能であること、保安処分は精神障害者に対する差別・偏見を助長すること。精神障害者を不幸な犯罪への道から守るためには精神医療の抜本的改善と地域での生活支援以外に方法がないことなどを挙げている。

 

4 野田レポートとその波紋

1982年2月20日、日弁連は、「精神医療の改善方策について」意見書15*を出した。これは上記の「要綱案」を基本にしたものではあるが、初犯防止や措置通院制度といった議論を呼んだ項目を削除したものとなっている。
 また同年3月16日、野田正彰が、日弁連の委託調査結果として、「“精神病による犯罪”の実証的研究」(野田レポート)を出した。その結論部の概略は、(1)事件の発生までに、患者本人あるいは家族から、サインがある、(2)医療の側がサインを的確に受けとめず、症状の悪化が放置されたまま事件が発生、(3)精神科医の適切な対応があれば事件発生が予防できた可能性が高い、(4)精神科救急医療、地域精神医療体制が必要、(5)精神病理学的診断能力と訓練をつんだ臨床精神科医の育成を、というものであった16*。
 同年4月6日、学会評議員会は、「保安処分(治療処分)案国会上程の中止を要請する決議」を挙げ、「覚醒剤の流通と中毒者治療に関する見解」を出した(精神経誌、84(12):1007,1982)。覚醒剤が広汎に市中に存在していることが問題で、それを許している政府こそ責任があること、意識障害、幻覚妄想等を伴った中毒性精神病状態以外は強制的な精神科医療の対象とすべきでないこと、現在の覚醒剤流通状況下で覚醒剤の再使用防止を精神科医療にのみ求めるのは非現実的であることなどを主張した。

 

5 82年総会シンポジウム「保安処分」

同月8日、森山公夫、山下剛利を司会、中山宏太郎、米倉育男、長田正義および小沢勲、白澤英勝をシンポジストとし、木田孝太郎、大野萌子、飯田文子を指定討論者として、総会シンポジウム「保安処分」が開かれた(精神経誌、84(11):852-888,1982)。
 中山は、保安処分に反対する論拠の歴史的推移について述べた。まず出されたのは、1965年ころまでに行われた調査で明らかにされた再犯予測の不可能性であり、次に出されたのは医者の権限が極度に限られた監獄の中では治療は不可能であるとの論点であった。またその後に出された反対論として、保安処分は保安を目的としており、治療目的のものとは明らかに違うというものを挙げた。裁判官を医療に介入させたドイツ、結局終身の不定期刑をもたらすイギリスの状況についても批判を加えた。
 米倉は、以下のような論点で保安処分に反対した。まず犯罪白書を資料とし、そのデータは「精神障害の疑いのある者」を含み不明確であり、10年の累計をとって検定しても精神障害者が同種犯罪を繰り返す傾向があるとは言えず、刑務所への再入率も高いとは言えないことを挙げた。次に再犯の予測表が作られたことがあるが、拡大使用は誤りであり、再犯予測は不可能であるとし、法務省が予測可能の論拠とする措置入院における自傷他害要件の判定の実績についても、これが持ち込まれたことによって、本来医学的緊急度によってなされるべき医療がゆがめられたとした。そして、保安処分は治療の美名に隠れた治安対策であり、精神障害者を排除しようという考え方であり、医療は本来拘束状況下では成立し得ず、精神障害者の自立も妨げるとした。また国立精神療養所院長の意見についてのアンケートの集計結果について報告した。
 長田および小沢は、現行の精神衛生法が社会防衛的視点を基軸にしており、その欠陥が如実に現れているのが措置入院であるという視点から、大阪府立中宮病院における措置入院の歴史的推移を検討し、最近の状況を処遇の開放化と診療圏の確立として分析し肯定的に評価した上で、保安処分新設策動および「事件例」「処遇困難例」の自治体立精神病院への集中傾向を批判した。
 白澤は、措置入院の期間が長期にわたっている例が多く、措置入院制度は社会の安全を確保するためには不満足であるとの法務省の見解は否定されるべきこと、措置患者は経済的要因によって減少傾向にあること、精神衛生法によって精神病院が社会防衛の一機関としての役割を期待されるようになってきたこと、日本精神病院協会は「処遇困難」「対応困難」の存在を主張しているがそれは病院の側の問題もあるのでありまたそれは保安処分必要の論拠にはならないこと、「重大事件」を起こした例の調査を通じ、不適切な早期退院やアフターケアの欠如が問題であるといった主張を否定するとともに、事件例が管理上困難とは言えないことを述べた。
 木田は、学会のこれまでの議論がお題目となって説得力がないとし、71年の保安処分反対決議は精神医療の悲惨を克服していくという決意でもあったとした上で、各シンポジストの発言に触れ、何をすべきであるかを語っていないと批判し、諸事件に対して精神医療は何をなし得るのかを語り、また精神病と犯罪という結びつきの短絡を実態的に明らかにしていく努力が必要であるとした。
 大野は、保安処分は差別・偏見に呻吟する弱い者への追い打ちであるが、今の医療も点検されるべきであるとし、医療をガラス張りにすべきだとした上で、野田レポートは医療の改革という視点なくこれを美化するものであり、また守秘義務にも抵触し、監視の医療・医療の保安化につながるとして批判した。
 飯田は、地域医療が安易に入院させることにつながらないように実践をしてきているが、野田レポートでは地域でも医学的管理を徹底的に行うことにつながるとし、今の精神病院の医療をまず変えていくことから始めなければならないとした。
 討論では、いずれも保安処分に反対する立場からの発言であるが、野田レポートの評価をめぐり討論となった。野田レポートを批判する側は、プライバシーの侵害、精神科医による犯罪予防の主張は却って差別を煽るもの、社会的状況への配慮がない、再犯予測が可能としている、保安処分に医療を対置するということ自体が原理的に誤り、といった論点を立て、一方これに反対する側は、そうした議論は政治的主張にとどまっている、野田レポートは再犯予測ができるなどとは言っていない、反保安処分のみではじゃあどうするんだという攻撃に何も答え得ない、などと主張した。

 

6 日弁連と医療従事者とのやりとり

同年11月20日、保安処分に反対する精神医療従事者協議会は、「日本弁護士連合会委託調査報告書『「精神病による犯罪」の実証的研究』に対する見解」(精神経誌、85(5):333-335,1983)を出した。プライバシーの問題があること、本人に直接会っていないこと、調査期間が短いこと、マスコミが大きくとりあげた事例を選んだに過ぎないこと、文化的背景に対する分析は無きに等しいこと、結果論であること、医師以外の精神医療従事者が軽視されていること、事件をひきおこす要因は多様かつ複雑であることなどの批判点が出されている。
 1983年6月25日、学会理事会と精神医療と法に関する委員会は、法務省−日弁連第9回刑法問題意見交換会で日弁連から出された、検察官通報の鑑定例が非措置となった場合に検察官が不服申し立てを行えるようにすべきであるとの趣旨に読みとれる発言に対して反対する要望書を出した(精神経誌、85(12):996,1983)。

 

VI 赤堀問題委員会の活動

関連する委員会活動として赤堀問題委員会を挙げておくべきであろう。この時期ころの活動が活発であるので、ここで触れておくが、1991年の解散時に詳細なまとめ(精神経誌、93(12):1327-1328,1349-1352,1991)が出されているので、項目を挙げるにとどめておく。同委員会は、1978年に発足し、赤堀氏の(1)再審実現、(2)死刑執行反対、(3)獄中処遇改善、(4)精神鑑定の問題性の検討に取り組み、資料掲載、評議員会決議、法務大臣・拘置支所長・関東管区矯正局、裁判所、検察庁等へ要望書・抗議文等の提出を行ってきた。1989年1月31日の再審無罪判決と釈放により目標が達成されたと判断され、1991年に解散した。

 

VII 宇都宮病院事件、精神保健法成立と「処遇困難者専門病棟」構想


1 宇都宮病院事件発覚

1984年3月14日、宇都宮病院事件が発覚した。政府−厚生省は、この後に非常に強まった国際的非難の声に押され、国連人権小委員会で政府代表が強制入院は12.3%に過ぎないなどと虚偽の報告をしてさらに批判を浴び(精神経誌、86(10):856-862,1984)、精神衛生法の改訂作業に入った。この中で、1986年11月1日、保安処分に反対する精神医療従事者協議会は、精神衛生法改正にからめて保安処分制度新設に反対するとの声明(精神経誌、88(11):978,1986)を出した。精神病院退院後間もなくの事件が多いというのは精神障害者の治療や生活の援助についての施策が貧しいからであること、犯罪予測の可能性を論じた研究はすべて遡行的な方法によるもので、予測にはなり得ないこと、保安処分は精神障害者の人権保障に逆行するものであることなどが指摘されている。

 

2 処遇困難者専門病棟問題

1987年9月、精神保健法が成立した。この精神保健法成立の背後で、道下忠蔵を主任研究者とする厚生科学研究班による、いわゆる処遇困難者専門病棟の問題が進んでいた。研究内容が公表されたのは1990年の4月11*であり(以下「道下研究」等と略記する)、全国で1971例の処遇困難例が入院している、指定精神病院を再編成して軽度の患者を治療し、原則として国公立病院に集中治療病棟を設置して、これらでも対応困難な症例や長期化した症例に対しては専門病院の設立を検討すべきとの内容であった。これに対し、翌1991年5月15日、保安処分に反対する委員会が批判的検討を行って公表した(精神経誌、93(8):724-732,1991)。患者側の要因のみが「処遇困難性」を構成するものではないこと、患者側要因にしても無限の因子があり、研究が「暴力行為」「犯罪歴」「人格要因」の3つを重視する根拠は不明であること、開放化は処遇困難の問題とは独立であること、開放化を阻む要因である人的財的資源の絶対的不足への解決努力の不在、集中治療病棟への入院申請者に司法関係者が含まれているのは不可解であること、治安的乱用の道具への道となるものであること、第三者機関はますます精神医療と他科医療から異なる原理に立たせることになること、提言どおりの制度化を行えば集中治療病棟の飽和はかなり確実と思われること、医療内容については言及されていないこと、現在の低い精神医療現場の水準を反映していること、犯罪と精神障害を特別に関連づける姿勢が存在すること、実態調査と提言との間に飛躍があることを挙げて批判点とした上で、治療困難の問題の検討には(1)患者側要因に還元しないこと、(2)一般精神医療の水準の向上との関連で考察すること、(3)臨床的研究、特に個別、具体的な分析、研究に基礎をおくこと、(4)かつての保安処分を巡る論議を踏まえることが必要、と主張した。
 こうした反対の動きに対し、この道下研究班の班員でもあり、またかつては保安処分に反対する委員会の委員長でもあった中山宏太郎が反論の論文(精神経誌、93(6):434-440,1991)を発表した。そこで主張されたのは、精神医療が強制力を持つ根拠は保安機能と患者保護機能であり、法積極主義は保安機能のみを強制の根拠としたが、患者保護機能を排除することは近い将来には不可能で、精神医療を医療に純化させると犯罪を犯した患者を有無をいわせず刑務所へ送る無慈悲なことになり、強制入院を完全に廃止すれば多数の患者を刑務所に送り、私宅監置と搾取にまかせ、行き倒れさせることになること、「報告書」は裁判所機能の強化を主張しておらずイギリス型保安処分を提起しているのではなく、むしろ優先的に提起しているのはイギリスの地域治療体制であること、開放処遇のためにその隘路となる処遇困難者を都道府県立病院が引き受けるべきだとする主張があり、正しいと直ちには言おうとは思わないが、これを無視して開放化を展開せよと主張することは到底出来ないこと、400人の保護室常時使用の全てが保護室から出られるようにすることが「報告書」の願いであること、少年期からいわゆる「精神病質」とされ、少年院等にいたことのある人が成人し精神分裂病を発病した場合、その後の犯罪の時に心神喪失であるとすることの是非が重要な問題であることなどである。
 1991年7月15日、公衆衛生審議会は、試行的に処遇困難患者を専門に治療するための病棟(重症の措置入院患者を専門的に治療するための病棟とも記している)を整備する必要があるとする「処遇困難患者対策に関する中間意見」を公表した(精神経誌、93(9):804-813,1991)。これに対し、1992年3月20日、精神医療と法に関する委員会はこれを批判する見解を出した(精神経誌、94(10):1044-1046,1992)。治療の貧困さ、処遇改善と開放化の遅れといった精神医療全体の問題点を「処遇困難患者」の問題であるかのように歪めて一面化していること、「暴力行為」「他害性」の関連を強調し、精神医療の治安的役割の強化をことさら強調しようとしていること、「重症措置患者専門治療病棟」は患者を地域医療から隔絶するものであること、犯罪を犯した、あるいは他害の危険性のある精神障害者については、精神医療の役割は医療として可能な範囲に限定する必要があること、保護室長期使用者等の「重症例」への対策は直ちに取り組むべき緊急の課題であることなどを主張した。

3 92年総会シンポジウム「医療環境といわゆる処遇困難者問題」

同年5月、白澤英勝、上野豪志を司会として、学会総会シンポジウム「医療環境といわゆる処遇困難者問題」が開かれた(精神経誌、94(11):1079-1124,1992)。
 シンポジストの発言は概略以下のとおりである。道下忠蔵は、まず道下研究の後に厚生省から要請されて行った「精神科入院医療と処遇のあり方に関する研究」の概略を述べ、医療圏等の計画、精神病床の約9万床減および機能分化、マンパワーの充実、診療報酬の改善などを提言したとした。その上で道下研究について述べ、この研究が保安処分とは関係ないことを確認の上受けたものであること、政府はこの研究結果に直ちに対応しないことになっていたが90年秋の代議士傷害致死事件が起こり早急な対応がとられ「中間意見」や「重傷措置患者専門治療病棟」整備予算がついたものであることを述べた。
 斎藤正彦は、英国における犯罪行為を犯した精神障害者の処遇について述べ、特殊病院内での暴力事件、地域保安病棟の孤立、精神病質者の取り扱い、刑務所にいる精神障害者の対応などの問題点も挙げ、本邦でも建設的かつ総合的な議論が必要であるとした。
 森田俊彦らは、京都府立洛南病院で65例の「処遇困難」とされる人々を抽出し、その分析を通じ、難渋しても大半は外来治療に移行し得ること、難渋するかどうかはマンパワーと開放処遇を第一とする治療環境および治療技術に規定されること、難渋する原因は患者−治療者の関係性に起因するところが大きいことなどを述べ、マンパワーの充実、治療・看護技術の研鑽、適切な治療状況の創出によって「処遇困難」問題は大方解消するのであり、処遇困難病棟を造るという考えには賛成できないとした。
 中谷陽二らは、東京都立松沢病院に検察官または施設長通報によって措置入院となった19例の分析を通じ、措置入院は現在の治療必要性に基づく短期間の拘束でありかつ精神障害者から社会を守るための隔離制度であるという二面を持っているが、検察官または施設長通報による措置入院は緊急措置入院とは現在の病状と危険性との関連において性質が異なること、大部分の症例では入院の時点で家族や地域社会との関係が断絶・崩壊しており援助者・協力者が得られがたいこと、患者自身の治療動機づけが乏しいこと、措置解除・退院の決定に際して要求される他害の危険性の評価・予測が困難であること、矯正施設での収容が外傷体験として治療拒否の原因となることなどを述べた。
 黒川洋治は、処遇と治療との相違、問題行動の激しさ・医学的な病気の重さ・過去に重大な問題を起こしたか否かはパラレルでないこと、不利益処分モデルと治療モデルの違い、マンパワー不足の解消の必要性等について触れ、処遇困難患者を分離収容しても問題は解決せず、保安処分となんらかわるところはないものであり、精神医療の社会的役割について議論が必要であるとした。
 金杉和夫は、文献的検討および道下研究の検討から、犯罪を犯した精神障害者と精神病院の中で治療や処遇が困難な者、および保護室長期使用者と治療者から人格要因が指摘される者とは別のものであることを明らかにし、これらについてはそれぞれに検討を加えることが議論を意義あるものにするとした。
 討論では、道下研究のアンケート調査が人権侵害であることが指摘され、道下が当事者立ち会いのもとでこれを処分する用意があることを明言した。また病院をたらい回しにされる患者の存在、医療現場の内容の充実との関連、医者が責任を負える範囲と負えない範囲、病院間の分業などの問題が提示された。
 この問題は総会でも討論となり、道下らの研究および公衆衛生審議会の「中間意見」に重大な疑義があることが明らかになったので重症措置患者専門治療病棟の凍結を求めるとの集会決議(精神経誌、94(10):1005-1006,1992)が挙げられた。

 

VIII 「触法精神障害者」問題への焦点化


1 学会の動きの変化

94年の委員会編成を決定する理事会で、「保安処分に反対する委員会」は、その名称に対して疑義が出され、総会決議の存在への配慮も必要であるとの意見もあり、結局一つの委員会としてでなく、精神医療と法に関する委員会の中に「保安処分に反対する小委員会」として位置づけられることとなった(精神経誌、96(9):775-776,1994)。これまでの保安処分に反対する委員会の存在意義は再確認された上で(精神経誌、97(4):301,1995)、精神医療と法に関する委員会の中に同じく置かれた「精神医療と司法に関する小委員会」と関連した問題が多いために合同委員会として運営されることとなった。97年の委員会編成で、精神医療と法に関する委員会に置かれる小委員会は「精神保健福祉関連法規小委員会」と「保安処分と司法に関する小委員会」となり(精神経誌、100(6):413,1998)、「保安処分に反対する」の名称は小委員会からも消えた。
 精神科医療を受けた人が社会的反響を呼ぶような他害事件を起こしたときに、その事例について検討していこうという動きも出てきた。一つが、愛知県守山荘病院に措置入院中であった患者が、1990年10月に、単独外出中に元大臣でもある代議士を刺した事件につき、その処遇や治療について、精神科医療の歴史等も踏まえて検討した守山荘病院調査報告書(精神経誌、97(10):867-895,1995)である。また、岩手県立北陽病院に措置入院中であった患者が、1986年4月に、集団散歩中に無断離院して通勤途中の男性を刺殺して財布を奪い、後に逮捕された事件につき、その後に遺族から県を相手に起こされた民事裁判の経緯等を踏まえ、処遇や治療等について検討した北陽病院問題に関する報告書(精神経誌、102(2):225-237,2000)も出されている。さらに、2000年5月に発生した高速バス乗っ取り事件についても検討がなされ、報告書が完成し、ご両親の同意が得られれば公表するという段階になっている(精神経誌、104(7):635,2002)。

2 99年総会シンポジウム「司法精神医学の現代的課題」

1999年には、前田雅英および山上晧を座長として総会シンポジウム「司法精神医学の現代的課題」が開かれた(精神経誌、102(1):13-50,2000)。
 シンポジストの発言を、学会誌の記録をもとに簡単に紹介する。山上晧は、重大な犯罪を行い再犯の危険性が高い者の無条件釈放および詐病を演じての医療の場への逃げ込みが稀ならずあり、一部の触法精神障害者による犯罪の頻回反復、刑務所で長期服役する精神病者の増加、精神病院内での暴力事件の多発、病院内での触法精神障害者に対する過剰拘禁、専門処遇施設がないための研究および育成の遅れ、精神障害者による重大事件の多発と精神科医の対応の不足による社会の偏見の増幅などの問題を指摘し、触法精神障害者処遇制度・施設の不備の故に本来なら予防できる事件が生じているとした。
 吉川和男は、英国における触法精神障害者の刑事訴訟手続、処遇手続、医療施設と治療について紹介し、英国での絶えず変革していこうとする姿勢が世界から注目されるシステムを作り上げてきたもので、この歴史を正しく理解することが本邦の今後のあり方に指針を与えるとした。
 謝麗亜は、カルガリー・モデルの鑑定、入院サービス、外来サービス等について紹介し、矯正システムとの独立性、司法精神科病棟への移送、連続的な鑑定と治療の提供というユニークな点があるとした。
 花輪昭太郎は、熊本県立こころの医療センターにおける触法例や対応困難例の治療の実践のデータを示し、また殺人事件を起こした症例を提示した上で、専門治療・専門職員の育成、司法との連携、該当者への通院の義務づけ、ハード面およびマンパワー面の充実、国公立病院・大学病院・民間病院の協力、医療費における適切な評価、およびプロジェクトチームによる検討・研究が必要であるとした。
 北潟谷仁は、弁護士の立場から、刑事手続きにおいて精神障害が看過されることが多いこと、起訴・不起訴裁定と裁判判断の基準が異なっていること、司法・医療双方に素養が不足しており問題のある鑑定例・裁判例が多いこと、応報感情が強調されることが多いが責任の本質は非難可能性であること、裁判例では責任能力を認める方向となっていること、一般的な治療が危険を回避する可能性があること、触法歴を要件とすることは医療の立場を逸脱する危険性を蔵していること、保安的要素や強制力の公使は常に反医療的とは限らないこと、当面は専門施設の新設より精神保健福祉法制の整備によって対処されるべきであり、対象を限り、第三者機関の介入、少年法の保護観察と同様の制度の導入を検討すべきであることなどを述べた。
 指定討論者は以下の3名である。本田守弘(法務省東京地方検察庁刑事部副部長、当時)は、1981年に刑事局案の骨子が出されたが、各種の反対や施設・人的な確保の困難さ、法改正の進行などを踏まえ、新設を見送ったこと、精神障害者の犯罪は最近特に増加はしていないが一方で重大犯罪等を反復する例もあること、保安処分制度の危険性の予測については困難性があること、措置入院の解除の判断のバックアップが必要であること、退院後のケアの充実が必要であること、処遇困難の人の適切な対処が必要であることなどを述べた。
 三觜文雄(厚生省障害保健福祉部精神保健福祉課長、当時)は、道下研究が葬り去られて以来この問題は厚生本省ではアンタッチャブルになっており、日本医師会や日精協から触法患者の対応が要望されたが刑法学者や人権派の人々から反対があり今回の法改正ではまとめられなかったが、今回の法改正に際しての附帯決議があり、犯罪を繰り返す、あるいはすでに重犯罪を犯した障害者の医療には今まで対応し切れていないという問題はあるので、議論が煮詰まれば対応していきたい、と述べた。
 池原毅和は、弁護士の立場から、触法あるいはその罪種は精神障害者の診断や治療のメルクマールにはならず、治療抵抗性やその要因を対象にしていくべきこと、治療効果がない者を治療名目で入院させ続けてよいのかという問題、適切な時期における危機介入をどのように行い得るかということの検討の中での移送制度の位置づけなどについて触れ、保安処分という陥穽を避けての議論が必要であると述べた。
 このシンポジウムは、保安処分推進論の再燃を恐れる患者団体らの反対により混乱し、シンポジストおよび指定討論者の発言のみで、討論の時間が確保されなかった。
 このシンポジウムは、当時学会精神医療と法に関する委員会委員長を勤めていた山上が実質的に企画したものでありながら、同委員会の討議を一切経ることなく準備されたものであり、事前から同委員会委員等からの批判があった(精神経誌、101(12):1190-1192,1999)。また特に山上の発表に対しては、筆者らによる、問題の扱い方が一面的であり、データの恣意的な解釈がみられ、これまでの議論が考慮されていないなどの点を挙げての批判がある(精神経誌、103(3):310-316,2001)。

3 国会附帯決議と合同検討会

同年5月28日、精神保健福祉法改正案が国会で可決されたが、この際「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇の在り方について」の検討を求めるという附帯決議が付けられた。
 2000年の総会シンポジウムとして予定されていた「現代精神医学における人格障害の位置づけ」(精神経誌、103(2):123-147,2001)は患者団体らの反対により中止された。
 2001年には、「重大な犯罪行為をした精神障害者の処遇決定及び処遇システムの在り方などについて」を議題とした法務省・厚生労働省合同検討会が7回にわたって開かれた。第1回は1月29日で、東京医科歯科大学難治疾患研究所の山上教授が現在の日本における触法精神障害者の対応の問題点について述べ、東京都立松沢病院の坂口副院長が現在の松沢病院が触法精神障害者の対応につき東京都の中で果たしている役割について述べた。第2回は3月8日で、上智大学法学部の町野教授が、刑法学者の立場から、まず初めに保安処分に対する精神科医の態度が反対から賛成に変わってきたことへの疑問を提示した上で、保安処分や触法精神障害者処遇の問題について述べた。第3回は4月19日で、医療法人恵風会高岡病院の長尾院長が現在触法精神障害者が医療に入ってきたときの問題点について述べ、熊本県立こころの医療センターの花輪院長が同院における治療の実態について述べた。第4回は6月12日で、神弁護士および池原弁護士が、弁護士の立場から、新しい制度ができた場合の法学的および実際的問題点について述べた。この回は偶然後述する池田小学校児童殺傷事件の直後に開かれたため、マスメディア等の注目を浴びた。第5回は7月18日で、埼玉県立精神保健総合センター診療局診療部の吉川医長がイギリスの触法精神障害者に対する制度について現在の日本の状況と比較しつつ紹介し、岡山県立岡山病院の中島院長が医療従事者の立場からこの問題に関する歴史的経緯を概観した。第6回は9月11日で、東京地方検察庁検事の渡辺副部長および石田検事が起訴前精神鑑定の運用の実際について述べ、東京地方検察庁嘱託の米元医師が特に起訴前簡易鑑定とその後の処置における問題点について述べた。第7回は10月16日で、世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークの小金澤アジア代表委員が精神障害当事者の立場から刑事司法における責任のとり方について述べ、精神障害者による犯罪行為の被害者の家族である曽我部氏が被害者の置かれる立場の現状について述べた。

 

4 01年総会シンポジウム「刑事司法における精神障害者の現状」

2001年、学会精神医療と法に関する委員会が中心になって準備をし、富田三樹生、中島豊爾を座長として、総会シンポジウム「刑事司法における精神障害者の現状」が開かれた(精神経誌、103(9):653-687,2001)。
 シンポジストの発言は概略以下のとおりである。まず筆者は、逮捕ないし保護から刑務所出所に至るまでの刑事司法手続きの各段階およびそこにおける精神科医療と関連する問題点を挙げ、現存する問題は医療および刑事手続き双方の側でやるべきことをやっていないことによって生じているものであることを示し、新しい制度を作ることは何らの解決にならず、却って問題を深刻にするものであることを述べた。
 八尋光秀は、弁護士の立場から、福岡県弁護士会で実践している、入院中の「患者」さんから電話依頼があった際に対応し面会して相談を受ける精神保健当番弁護士制度について説明し、また刑事拘禁や交通事故死などの具体的な数を挙げて、「精神障害者」の拘禁の多さを指摘した上で、精神は一般医療へ編入、一般司法での取り扱いを検討すべきで、そのためにどんな援助ができるかということを追求すべきであると述べた。
 吉川和男は、本邦では一旦司法手続きからはずれて精神病院に入院すると司法手続きに戻ることができず、一方で一旦司法手続きに入ると矯正施設長による26条通報まで精神保健福祉法下の医療を受けられない問題があるとした上で、英国の制度を紹介し、刑事手続きの各段階で精神病院での医療が提供される法手続きが整備されているとした。また、特殊病院からの患者受け入れという目的で作られた地域保安ユニットが、今日では地域司法精神科医療サービスの拠点となるとともに、地域の警察、裁判所、刑務所などに精神科医を派遣して患者の受け入れを行うなどの機能をも担っているとして、本邦でも治療施設や地域での司法精神医療サービスの整備が早急に必要であるとした。
 秋山賢三は、弁護士の立場から、昭和41年に静岡県清水市で起こった一家4人惨殺事件の犯人として死刑が確定した袴田巌氏の例を紹介し、これが冤罪であり再審請求中であるとした上で、1980年ころから袴田氏の精神状態が悪くなっており、姉や弁護人にも面会しない状況となっているが、拘置所当局が外部の医師の診察は認めないため精神状態を真にうかがうことができない状況にあること、不当な拘禁が続いていることを述べた。
 当日シンポジウムに参加できなかったつかもとまさじのレポートは中島座長が代読した。拘置所および刑務所での獄中体験を持つ精神障害当事者の立場から、刑務所での処遇および精神科医療の実態を具体的に明らかにし、刑事施設や精神医療のあり方を根本から変える視点なく「触法精神障害者の処遇」などを語ることはできないとしたものであった。
 討論では、指摘されたような種々の問題がありながらなぜ「触法精神障害者」が今問題とされるのか、刑事司法から精神科医療へは勾留執行停止や監獄法などで法的には保障されているが現実に機能していないことの問題、閉鎖的な施設に外部の目を如何に入れていくか、といった点が議論になった。

 

5 池田小学校児童殺傷事件を契機とした動き

2001年6月8日午前10時過ぎ、大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校に包丁を持った37歳の男性が侵入し、児童らに切りつけ、8人が死亡、15人が重軽傷を負った。この男性が精神科に入通院歴があり、2年前にも傷害事件を起こしたが起訴されずに措置入院となっていることから、小泉純一郎首相が翌9日に「精神的に問題がある人が逮捕されてもまた社会に戻って、ああいうひどい事件を起こすことがかなり出てきている」と発言したことを始め、政府関係者や「識者」から、いわゆる「触法精神障害者」の問題として捉える発言が相次ぎ、実際にこれを一つの契機に政府や与党を中心に新しい制度に向けての検討が始まった。
 当学会もこの動きに反応した。同月24日、精神医療と法に関する委員会が、政府、政党、報道機関の精神障害者に対する偏見を煽る反応を批判し、保安処分構想や特定病院必要論は本邦の現実を踏まえていないものだとして、精神科医療および刑事司法の現状についての改善をまず急務とする「大阪児童殺傷事件に関連して『重大な犯罪を犯した精神障害者対策』に関する見解」(精神経誌、103(8):638-645,2001)を発表した。翌25日、理事会が、司法と医療の狭間にある問題点を早急に見直す必要がある、新しい制度でなく現行法下での改善をまず優先すべき、偏見除去の推進が必要とする「『大阪児童殺傷事件』に関する理事会見解」(精神経誌、103(8):637-638,2001)を出した。7月21日の理事会は、「刑事司法と精神科医療に関する特別調査委員会」(仮称)の設置を決定した(精神経誌、103(9):730,2001)が、8月10日には「重大事件を起こした精神障害者の処遇と治療システム検討特別委員会」(仮称)として開催された(精神経誌、103(9):745,2001、精神経誌、103(10):882,2001、精神経誌、103(12):1218-1219,2001)。また理事会でもこの問題について繰り返し討議がなされた(精神経誌、103(9):731-733,2001、精神経誌、104(4):335-336,2002、精神経誌、104(5):436-438,442-443,2002)。
 また、司法に関連する領域での実態調査が必要であるとの考えが強まった。9月22日の理事会では精神鑑定に関するアンケート調査を行うことが決定され(精神経誌、103(12):1218,2001)、アンケートの原案が作成されたが、理事会や精神医療と法に関する委員会でこれが再検討を要すると判断され、重大事件を起こした精神障害者の処遇と治療システム検討特別委員会(仮称)から精神医療と法委員会に改めて協力を依頼し、委員が加えられた(精神経誌、104(1):102,2002)。結局精神科七者懇談会の法とシステムに関する委員会の「司法と精神医療に関する実態調査ワーキングチーム」としてアンケートを行うこととなり、2002年1月に行われた(精神経誌、103(12),2001の巻頭に協力依頼が折り込み)。同ワーキングチームは法務省から提供された起訴前精神鑑定および鑑定を実施せずに不起訴とした事例についてのデータ分析も行い、2001年度の報告18*を出し、精神鑑定の基準や矯正施設調査などを課題として2002年以降も検討を続けている。
 2001年11月9日、自由民主党の心神喪失者等の触法及び精神医療に関するPT(プロジェクトチーム)報告が、次いで同月12日に与党(自民党、公明党、保守党)政策責任者会議・心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム報告書が出された。「触法心神喪失者」に新たな処遇決定手続きと専門治療施設の新設、保護観察所の指導監督下での通院医療の規定等を提言したものであった。これに対し、同月16日、精神医療と法に関する委員会は、PT提案はすでに強い反対に遭い決着のついていた1981年の治療処分の刑事局案とほぼ同一であり、不起訴処分の問題は温存し、医療法特例などの人権侵害に対する認識が全くないと批判し、刑事訴訟における適法手続き、医療と刑事手続きの移行、矯正施設における医療の整備と地域精神医療体制の整備、現行制度の実態調査を提案した「重大な犯罪を犯した精神障害者に対する与党PTの新立法制度(仮称治療措置)案に対する見解」を出した(精神経誌、104(10):886-888,2002)。
 理事会は、2002年1月19日、医療及び福祉の充実強化を最優先すべきである、報告書の言う「処遇の改革」の目的を明確にすべき、包括的な調査と抜本的改善が必要とする「心神喪失者等の触法及び精神医療に関する、与党プロジェクトチームの新立法制度案に対する見解」を出した(精神経誌、104(5):448-450,2002)。
 2002年2月14日、法務省刑事局は、放火、強制わいせつ、強姦、殺人、傷害、強盗を「対象行為」とし、これを行った心神喪失者ないし心神耗弱者を「対象者」として、対象者が対象行為を再び行うおそれがあると認められるときに入院等の処遇を開始すること等を定めた「重大な触法行為をした精神障害者に対する新たな処遇制度(案)の骨子」を公表した。これに対し、理事会は、同年3月12日、「再犯」の予測が不可能であること、起訴便宜主義と起訴前精神鑑定に何ら改善が加えられていないこと、治療と社会復帰施策について具体性が欠けていることを指摘した「『重大な触法行為をした精神障害者に対する新たな処遇制度(案)の骨子』(法務省刑事局)についての緊急声明」を出した(精神経誌、104(2),2002の巻頭に折り込み、精神経誌、104(5):446-447,2002)。同日、精神医療と法に関する委員会も、将来の危険性を理由にした予防拘禁制度は憲法違反である、精神鑑定による再犯予測は不可能である、起訴便宜主義によってもたらされている諸問題は解決されない、保護観察所による役割の遂行は不可能、指定医療機関は精神科医療の差別を固定化するとしてこの骨子を批判した「法務省新立法案(2月14日)に対する緊急反対声明」(精神経誌、104(5):447-448,2002)を出した。
 3月15日、政府は、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」を閣議決定した。同日、精神医療と法に関する委員会は、法案に断固として反対するとする「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)』に対する緊急反対声明」を出した(精神経誌、104(5):450,2002)。
 政府は、同月18日、同法案を同日から始まった通常国会に上程した。
 4月8日、精神医療と法に関する委員会は、同法案を条文に沿って批判した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)を批判する(逐条批判)」を出した(精神経誌、104(10):889-892,2002)。
 同月24日、精神科七者懇談会から日本精神科病院協会を除く6団体(国立精神療養所院長協議会、精神医学講座担当者会議、全国自治体病院協議会、日本精神神経科診療所協会、日本精神神経学会、日本総合病院精神医学会)の連名で、医療・福祉の全般的な水準向上や整備が必要、刑事事件を起こした精神障害者の処遇についても現行の諸制度には種々の不備がある、本法案では司法側に比べ医療側の負担が重すぎる、再犯のおそれの評価は困難、司法が責任をもって対処すべき課題には言及されていない、とする「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)』についての見解」を出した(精神経誌、104(7):640-641,2002)。
 5月11日、理事会および精神医療と法に関する委員会は、重ねて再犯予測が不可能であることを指摘する「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案』の国会審議に際しての抗議声明−再犯予測は不可能である−」を出した(精神経誌、104(8):719-720,2002)。
 5月14日、精神保健従事者団体懇談会(当学会を含む19の精神医療・保健・福祉に関わる学術団体および職能団体から成る)が、医療・保健・福祉を全面的に充実させることこそが最優先、再犯のおそれの予測は困難、おそれを基準とする強制された「地域医療」は地域医療・地域ケアの本質を侵害する、起訴猶予処分・措置入院・司法の場における医療への取り組みがまずなされるべき、とする「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)』についての声明」を出した(精神経誌、104(8):718-719,2002)。
 5月末より、衆議院法務委員会で同法案の審議が開始された。短期間で採択されてしまう可能性もあったが、最大野党の民主党が対案を出したこともあり、厚生労働委員会との連合審査などを経、会期が延長されたにもかかわらず採択はなされず、7月末、継続審議となった。
 2002年8月23日の評議員会および同月26日の総会において、劣悪な精神科医療体制をまず抜本的に改革する必要がある、現状の司法と精神科医療の狭間の問題を調査し改革する必要がある、再犯予測は不可能であるとする「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)』に改めて疑義を表明する。」が理事会から提起され、集会として承認された(精神経誌、104(7),2002の巻頭に折り込み)。
 9月20日、精神医療と法に関する委員会は、再犯予測について文献的に検討し、これが種々の点で大きな問題を有すること、英国での精神保健法改正の動きに絡めて人格障害概念が絡むとされに大きな問題が生じることを指摘する「再犯予測について」を公表した(学会ホームページhttp://www.jspn.or.jp、掲載の事実を精神経誌、104(8),2002巻頭に折り込み、精神経誌、104(10):978-1001,2002に掲載)。
 10月より臨時国会が始まった。11月に入り、与党は、野党に対し、法案の対象となるのを原案の「入院をさせて医療を行わなければ心神喪失または心神耗弱の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがあると認める場合」から「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせてこの法律による医療を受けさせる必要があると認める場合」に改めることを中心とした「修正案」を提示した。この提示は、11月13日の時点で非公式に行われ、同月27日に開始された衆議院法務委員会での審議の場で趣旨説明がなされた。同月15日、精神医療と法に関する委員会は、この「修正案」に対し、再犯の予測は依然として含意されており、治療可能性は考慮されないなど、改悪となっている、重要で本質的な問題は一切考慮されていないなどの点を挙げ、この修正案は修正案足りえず、かえって事態を悪化させるとして批判した「心神喪失者等医療観察法案に関する自民党・与党法案修正(案)ペーパーを受けて」(精神経誌掲載予定)を出した。また、理事会は、同月16日、精神科医に「再犯」の予測はできない、現行の精神科医療制度と司法制度の改善こそが急務である、司法システムと精神科医療システムの協同をめざす必要がある、情報公開が必要である、などの諸点を挙げ、法案への重大な疑義を改めて明らかにした「『心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案』の国会審議再開にあたり重ねて見解を表明する」(精神経誌、104(10),2002巻頭に折り込み)を公表した。
 法務委員会の審議は、やはり厚生労働委員会との連合審査などの経過を経たが、12月6日、審議の続行を求める野党議員を押し切り、与党議員らにより同委員会で強行採決され、同月11日の衆議院本会議で可決された。参議院に送られ、本会議での趣旨説明がなされた後、同月13日の臨時国会閉会で継続審議となった。政府・与党は2003年の通常国会での可決・成立を目指していると言われている。

 

IX これまでのまとめと今後の展望

概観してみると、この問題についての議論は、1960年代から繰り返し同じ論点が出されていることがわかる。触法行為を犯した精神障害者に対し、現状の措置入院では不充分であること、被害者への配慮も必要であることなどを理由とし、特別な制度を必要とする立場の主張がなされるが、再犯の予測可能性、仮にそうした制度を作ったとしてその対象となる者の治療可能性、そうした制度ができたときの当該「触法行為」の事実審理の不透明性と構成要件の拡大適応可能性等から反論がなされるのである。他に、矯正施設内の精神科医療の問題、精神病質者(人格障害者)の問題もしばしば指摘されている。
 1971年の保安処分に反対する決議は圧倒的多数によって行われたものであり、当時を知るべくもない筆者にもその討論の記録や数から精神科医たちの熱意、この問題への危機意識の強さをうかがうことができる。その後の活動も併せ、当学会はこれまで保安処分導入を阻止してきた運動の一翼を担ってきたことは、歴史的な意義を有することと言えよう。
 しかし、当学会員を含む精神科医の中に、特別な制度を期待・提唱する動きがあったことも事実である。それがはっきりと表面化したのはいわゆる処遇困難者専門病棟問題である。そしてこの問題は、長く保安処分に反対する委員会委員長であった中山宏太郎がその研究班員に加わっていたことに象徴されるように、これまで保安処分に反対していた層が特別な制度を提唱する側に回ったという新たな動きも持っていた。精神科医の転身の理由がわからないとの刑法学者の町野の発言4*を待つまでもなく、この変化は一考に値する問題である17*が、ここでは触れない。しかるに、処遇困難者専門病棟構想は、処遇困難者と触法者という対象者の混同、および施設への過度の期待など、多くの致命的な欠陥を持っていた。この構想を推進していた側からは「反対にあって実現しなかった」などといった解釈がみられるが、なぜ反対者たちが反対していたのかに全く目を向けようとしない姿勢は責任あるものとは言えない。問題があるから反対があったわけで、特にこの構想におけるそれはあまりに致命的であったのである。1992年のシンポジウムでも数多くの問題点が指摘された。
 その後しばらくこの問題に関する総会シンポジウムは行われなかった。1999年の総会シンポジウムは、この後の流れを作る一つの画期的なものであったが、委員会の討議を全く経ずに行われたためもあってか、それまでの学会の議論の蓄積を踏まえておらず、医療者側のシンポジストに新しい制度への反対・慎重論者を入れないという偏ったものであった。医療者側のシンポジストは、現状の問題点を、制度の問題と運用の問題を混同するなど明確な原因論の追及なしに挙げ、抽象的に新しい特別な制度への期待を述べる一方で、具体的な内容を一切挙げなかったため、反対・慎重論者の弁護士らと議論がかみ合わず、討論がなかったためその点が充分明らかにされることもなかった。特に刑事司法手続きの運用の問題についての認識が、弁護士らがそれを断片的に挙げたにもかかわらず、医療者側には非常に薄かった。法務省、厚生省(現厚生労働省)の責任ある立場の者の参加が得られたのは画期的ではあったが、両者とも自らの省庁が行ってきてまたなお行いつつある実践の問題にあえて一切触れず、ただ抽象的に新しい制度への期待のみを述べるという無責任ぶりであった。
 但し反対論もただ新しい制度に反対していくだけでは現状追認にしかならない。現状には問題があるのであり、その原因を追及し、解決可能な問題は解決しなければならない。そしてそれは、一面的な理解に基づくものではなく、精神科医療および刑事司法手続き全体を視野に入れたものでなければならない。自画自賛をおそれず言えば、こうした視点を学会に再度持ち込んだのは2001年のシンポジウムである。刑事手続きの中での精神障害者の扱われ方の問題点を挙げることによって、現行の制度の運用の問題を明らかにしたのである。
 そしていわゆる池田小事件を契機にしての動きについてコメントしなければならない。大きな事件があるたびに新しい制度が議論に上るが、その議論は必ずしも理性的なものとは言えないことが多い。すなわち、事件の原因や加害者の精神状態に関する調査がなされず、精神科医療や刑事司法の現状についての基本的な認識も欠如したまま、その加害者に適用されるか、あるいは類似の事件を予防できるかも明確でないまま何らかの新しい制度の提言がなされるのである。池田小事件を契機とし、与党や政府で検討がなされ、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」が出され国会で審議されていったが、この動きもその例外ではなかった。
 この動きに対する学会の態度は、細かい点では種々の問題はあったが、基本的には医療従事者として原則的なものであったと言えよう。法案に規定された目的や対象は、これまで繰り返し不可能(ないし、実用可能なほどの精度が全く実現していない)であることが指摘されてきた再犯予測をそのまま踏襲するものであり、また起訴前簡易鑑定など従来の刑事手続きの問題や矯正施設内の医療の貧困さは手つかずとされた。いわゆる人格障害者の取り扱いについても明確でない。学会理事会や精神医療と法に関する委員会はこれらを繰り返し指摘し、法案への反対ないし慎重な態度を明確にし続けた。精神科医療は、常に患者の利益でなく社会防衛に寄与せよとの圧力にさらされ続けており、絶えず譲歩を強いられてきている。このことは本邦のみならず他国の医療史を見ても明らかである。医療に携わる者として、できる限りこれに抗い、医療の原則を踏み外さないようにすることは当然の責務である。
 しかるに、残念ながら、学会員を含む少なくない精神科医ないし精神医学者が、この法案を推進する立場に立ったこともまた事実である。日本精神科病院協会が強力な推進者であることも周知である。
 本小論の執筆の段階では、未だ法案は衆議院を通過したのみであり、国会内の議員数配分から考えると次期国会で参議院も通過し成立する可能性が高いが、これはまだ確定したものではない。筆者はこの法案に反対の立場であり、これまで微力ながら反対運動にも関わってきたし、参議院での審議に向けてもこれを継続していき、成立を阻止したいと考えている。この法案を通せば、仮に当初は慎重な運用がなされたとしても、その後徐々に対象が拡大され、処遇も長期化し、実態が隠される上、この制度によって事件の予防はできないから、似たような事件が起こったときにまた理性を欠いた議論がまき起こり、精神科医療にさらに社会防衛が求められることになるであろうと考えている。
 但し、推進者たちの多くもこの法案が成立したとしても問題が全て解決するとは述べていないのであり、いずれにせよこの問題についての検討は今後も継続していく必要がある。しかし、最大の障害となっているのは法務省および厚生労働省の秘密主義である。前述したように精神科七者懇談会の法とシステムに関する委員会の「司法と精神医療に関する実態調査ワーキングチーム」が種々の調査を行ってきており、2001年度に起訴前精神鑑定および鑑定を実施せずに不起訴とした事例についてのデータを法務省から提供されて分析したが、このときにも求めた情報の一部しか提供されていない。両省が情報をオープンにし、環境を作った上で、種々の議論を可能にしていく必要がある。学会内でも、改めて学術的な議論を行っていく必要があるだろう。これまでの学会での議論を概観した拙論がその一助となれば幸いである。


出典:日本精神神経学会百年史、日本精神神経学会、2003
http://www.isps.jp/jutakuseisakubutu.htm

*病名、障害者等は当時の記載に従った
*この度の医療観察法.NETへの転載にあたり「 精神障害者と触法行為をめぐる日本精神神経学会の議論」と改題した

文献
1*岡田靖雄:差別の論理−魔女裁判から保安処分へ。勁草書房、東京、257-258、1972
2*岡田靖雄:差別の論理−魔女裁判から保安処分へ。勁草書房、東京、350、1972
3*岡田靖雄:差別の論理−魔女裁判から保安処分へ。勁草書房、東京、351、1972
4*町野朔:2001年3月8日第2回法務省・厚生労働省合同検討会議事録
5*青木薫久:刑法改正問題におけるうれうべき精神神経学会の動向。健康会議、18(2):48-54、1966。同:保安処分と精神医療、批評社、東京、248-265、1980
6*岡田靖雄:精神障害者の保安処分について。法律時報、38(6):50-54、1966
7*岡田靖雄:差別の論理−魔女裁判から保安処分へ。勁草書房、東京、235-236、1972
8*関口進:精神科医の見た保安処分−保安処分とは何か、どんな問題点があるか−。社会医学研究(京都)、6(2):15-28、1966
9*学会理事会、保安処分に反対する委員会:「精神医療の抜本的改善について(要綱案)」に対する意見書。精神科医共闘ニュース81年4号:4-5、1981
10*法務省:「刑法改正作業の当面の方針」「保安処分制度(刑事局案)の骨子」。自由と正義、34(2):171-172、1981
11*道下忠蔵(主任研究者):厚生科学研究報告書「精神科医療領域における他害と処遇困難性に関する研究(平成2年4月30日発行)」、精神医療研究会、石川、1990
12*青木薫久:保安処分と精神医療、批評社、東京、275、1980
13*岡田靖雄:差別の論理−魔女裁判から保安処分へ、勁草書房、東京、235、1972
14*法務省刑事局:法制審議会改正刑法草案の解説。大蔵省印刷局、東京、1975
15*日本弁護士連合会:保安処分問題をめぐる総合的検討、日本弁護士連合会、東京、89-93、1984
16*野田正彰:クライシス・コール−精神病者の事件は突発するか。毎日新聞社、東京、294-296、1982
17*富田三樹生:精神衛生法改正と処遇困難者専門病棟問題の回顧−中山宏太郎氏の軌跡をめぐって。同:東大病院精神科の30年、青弓社、東京、216-279、2000
18*森山公夫ら:「触法精神障害者」の精神医学的評価に関する研究。主任研究者竹島正:措置入院制度のあり方に関する研究、平成13年度総括・分担研究報告書、国立精神・神経センター精神保健研究所、千葉、117-138、2002


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