医療観察法.NET

東北弁護士会連合会決議に対する批判的コメント

池田直樹(弁護士)
2007年10月17日

2007年7月6日付けで、東北弁護士会連合会が医療観察法に関する決議を採択しました。その内容を紹介するとともに、問題点を指摘します。

1.タイトルへの違和感

 この決議のタイトルは「医療観察法の理念の実現のため」となっています。そもそも日弁連は医療観察法の制定に強く反対していたはずです。にもかかわらず「理念の実現」とは一体何を意味するのでしょうか。
  決議文を読めば「社会資源を充実・活用させることにより、対象者の社会復帰を実現すること」を理念として制定された、と書かれています。このこと自体は了解でき、提案理由の中でも詳細な提案がなされている点は評価できると思います。しかし、このことが医療観察法の理念なのでしょうか? 違和感を感じます。どのように説明しようとも医療観察法は、まず「精神障害者を隔離すること」を前提として立案され、日弁連や多くの市民の強い反対の中で「治療目的による強制入院」という体裁をとらざるを得なかったにすぎず、与党は本音のところでは諦めたわけではないのであり、本来の「隔離制度」を復活するチャンスを狙っていると考えるべきでしょう。その警戒感が感じられません。
 このような政府・与党の思惑を前提とする限り、この法律が何か素晴らしい理念を掲げて登場したかのように誤解させるタイトルは不適当と思います。

2.「指定通院医療機関の設置の充実」を求めることの誤り

この決議文の要求項目には「B早急に指定通院医療機関の設置の充実を図ること」が書かれています。指定入院医療機関は人権侵害性が強いけれども、指定通院医療機関なら問題ないということでしょうか。指定通院医療機関も「強制治療」の類型として新設されている以上、手放しで「充実」とは言えないと思います。言うまでもなく通院治療の実績は精神医療観察の中で監視され、再入院命令も待ち構えているのです。「通院から処遇終了へ」という確かな路線は引かれていません。地域精神医療体制が未整備のままになっている現状をみれば、再入院に追いやる可能性は決して低くはないと思います。その危うさに対する(萎縮)や戸惑いがこの決議から感じられません。

3.弁護士会の限界

日弁連は医療観察法の制定に強く反対しました。しかし、一旦制度が動き出してからは、付添人活動を担っていく中で、「制度の改善」を目指すようになってしまっています。しかし、「動き出した以上は、これ以上悪くならないように」というスタンスに移行することは慎重であるべきだと思います。日弁連は、今なお、「医療観察法の廃止」を視野に入れているのでしょうか。自問した上で精神障害のある人の立場に立って再度明らかにすべきでしょう。 日弁連を含む弁護士会連合会は、地域精神医療の充実を最優先課題として宣言すべきです。そして、その結果として精神障害者が地域で孤立することなく、安定した自分に合った信頼できる医療を受け、日常生活支援を受けることで、最終的に社会の理解を勝ち取ることができることになります。そして最終的に、社会全体がこの制度のおかしさに気づき、廃止に向かう、これが法制度を運用する立場にある弁護士の動き方ではないかと思われます。
 弁護士会の中には、もちろん「政府・与党断固支持」「精神障害者は隔離すべし」との考えの弁護士もいます。全国の弁護士が全員強制加盟となっている以上は当然のことなのです。しかし、弁護士法1条では、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」と書かれている以上は、常に少数者の尊厳が脅かされないように、社会に警鐘を鳴らし続けるべきでしょう。
 「国民は安心・安全を求めている」として監視社会化が進みつつあります。しかし、同じ社会の一員をことさら区別し、排除の論理に逃げ込んではいけないと考えます。精神障害のある人は、まさにこの排除の論理に晒されているのです。
 他害行為をした精神障害のある人への「強制治療」をどのようにとらえるか、精神保健福祉法の措置入院制度の意味をもう一度検証し、世論のレベルに立って、説得していく必要があります。急性期症状のために自分をコントロールできない症状の出ている人に、症状の安定化のために一時期の強制治療は必要ではないか、と問われたときに適切な回答は見当たりません。
 繰り返しになりますが、医療観察法に「理念」はないといえます。あるのは「いまいましい棘」なのです。このことを忘れないよう、制度運用に流されないよう、引き締めていく必要があります。

 

 東北弁護士会連合会決議へのリンク および  pdf版のダウンロード(288KB)

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